2021年2月25日木曜日

中間市垣生(はぶ)

 将棋の世界で国民栄誉賞を頂いた羽生(はぶ)名人の名字の由来をテレビで報道していた。

中間市垣生(はぶ)の地名がルーツということだった。
地元の垣生神社(はにゅうじんじゃ・はぶじんじゃ)は、 元はこの地は「埴生(はにゅう)」と呼ばれていたが、後に転じて「垣生(はぶ)」と呼ばれるようになった。 中間市最大の都市公園である垣生公園内にあり、公園内の羅漢山を中心に古墳時代後期の横穴墓(垣生羅漢百穴)が散在し多くの副葬品が出土していることから、この地に有力な豪族がいたことを伺わせる。
菅原道真が大宰府に流されたとき、この地に立ち寄ったことから、地名が有名になり、名字を名乗る人が増え、文字も羽生などに変化して、いまは種子島に多い名字となったそうだ。
千年前は中間市まで海岸だったようだ。
近くに会社の工場ができたので、この垣生公園で桜見の宴をしたことを思い出した。


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