2026年5月4日月曜日

大正15年~昭和2年の政治

私は大正15年 5月に生まれ、今月で満100歳をむかえる。

大正15年の政治状況を一言でまとめると、AIは次の回答をしてきた。

  • 政党内閣と議会政治が形式的には最も完成していた
  • 同時に無産政党の誕生などで政治が大衆化し、右も左も多党化が進んだ
  • 皇位継承と昭和への改元を控え、体制の先行きには不安も滲み出ていた
    という「大正デモクラシーの最後の一年」でした。
第1次若槻内閣は、内閣総理大臣臨時代理内務大臣若槻禮次郎が第25代内閣総理大臣に任命され、1926年大正15年)1月30日から1927年昭和2年)4月20日まで続いた

私の名前は、立憲政友会総裁田中義一の名前をとって、義一とナズケられた。

田中義一が内閣総理大臣就任

1927年4月19日、総理決定の日、羽織袴姿の田中

1927年(昭和2年)3月、第1次若槻内閣のもとで全国各地の銀行で取り付け騒ぎが起こった。

若槻内閣は同年4月17日に総辞職を表明し、代わって立憲政友会総裁の田中が4月20日に組閣した。田中内閣には元総理や次の総理を狙う大物政治家、そして将来の総理や枢密院議長などが肩を寄せ合い、大物揃いの内閣となった。

内閣の主な顔ぶれ

蔵相に起用された高橋是清は全国でモラトリアム(支払猶予令)を実施し、金融恐慌を沈静化した。

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