小泉信三といえば、慶應義塾大学の塾長を務め、後に上皇陛下となる皇太子明仁親王の教育に携わった人物として知られている。宮中で求められたのは、学問への深い理解と、人を導くための品格だった。
だが、整ったスーツ姿と理知的な表情の裏には、戦争によって深く傷つけられた身体があった。
東京大空襲の際、小泉は右顔面に大火傷を負った。傷は重く、顔には消えることのない痕が刻まれた。人前に出ることさえためらっても不思議ではないほどの負傷だったが、彼は傷を覆い隠す道を選ばなかった。
火傷の痕を残した顔のまま公の場に立ち、皇居にも通った。端正な知識人として見られていた彼の顔には、自らがくぐり抜けた戦争の記憶が、そのまま刻まれていた。
さらに意外なのは、小泉がかなりのスポーツ好きだったことだ。なかでもボクシングへの思いは強かった。
宮中では理路整然と言葉を選び、若き皇太子に学問や生き方を説く。一方、道場へ行けば若者たちに交じって拳を握り、サンドバッグを打ち込み、時にはスパーリングで汗を流した。
顔には大空襲の傷。身体には闘う人間の熱がある。
皇室から信頼された教育者という姿と、拳を振るう武闘派の素顔。その落差こそ、小泉信三という人物の輪郭を強く浮かび上がらせる。傷を消そうとせず、戦争を経験した自分の顔のまま若者の前に立ち、知性と肉体の両方で生き方を示し続けた。