2026年9月1日火曜日

菊池寛

 文壇の大物・菊池寛には、原稿よりも勝負事に夢中になる、危なっかしいほど豪快な顔があった。

『文藝春秋』を創刊し、芥川賞や直木賞の創設にも関わった菊池寛。後世から見れば、日本文学と出版界に巨大な足跡を残した人物である。ところが私生活に目を向けると、立派な文化人という印象から大きく外れる。彼は勝負事を愛し、人生そのものまで賭け事のように楽しむ男だった。
菊池の気質を物語る言葉として、「ギャンブルは、絶対に使ってはいけない金を使ってからが本当の勝負だ」と伝えられている。余裕のある金で遊ぶ程度では満足できない。追い詰められたところから始まる緊張感に、強く惹かれていたらしい。
熱中ぶりは賭博の席に限らなかった。
お気に入りのカフェの女給を人気投票で一位にしたいと思えば、票を集めるためにビールを150本も注文したという。現代なら熱烈な「推し活」と呼ばれそうな行動だが、やることの規模が桁違いだった。
自ら創業した文藝春秋でも、経営者らしい威厳を保ち続けたとは言い難い。仕事の合間に将棋や卓球へ夢中になり、やがて社員まで遊び始めた。さすがに業務に差し支えると考え、「卓球・将棋禁止令」を出したものの、早々に禁を破ったのが菊池本人だったという。
健康管理でも似た調子だった。糖尿病を患い、医師から米を控えるよう厳しく注意されていた時期、友人にちらし寿司を食べているところを見つかった。問いただされた菊池は平然と、「これは酢で味付けしてあるから米ではない」と返したという。苦しい言い訳なのに、本人は妙に堂々としていた。
自由奔放さは家庭にも波紋を広げた。繰り返す女性関係に妻が耐えかね、離婚を切り出した際、菊池は「60歳になったら必ず真面目になる」と約束して思いとどまってもらったと伝えられている。
文学界では多くの作家を支え、新しい才能が世に出る舞台まで作った男が、家では妻を困らせ、会社では自分で作った規則を自分で破り、医師の忠告には屁理屈で抵抗する。偉大な文化人という肩書きと、子どものように勝負や遊びへ熱中する素顔が、同じ人物の中に同居していた。
だが「60歳になったら真面目になる」という約束の日は訪れなかった。菊池寛は59歳で世を去った。
人生を勝負の連続として駆け抜けた男は、最後まで60歳の自分を見ることがなかった。残された逸話をたどると、文壇を動かした大作家の横で、勝負事を前にすると理屈も立場も忘れてしまう一人の人間が、今も楽しそうに将棋盤へ身を乗り出しているように見えてくる。

0 件のコメント:

コメントを投稿