秋らしい絵の掛軸をかけた。田能村竹田の弟子の高橋草坪の絵「小竹雁之図」である。
田能村竹田が画才を認め、最も期待していた門人は、杵築の高橋草坪(1804-1835)とされる。早世したので作品は少ないらしい。
いかに竹田が草坪の画才を認めていたかは、自著『竹田荘師友画録』に門人のなかで唯ひとり取り上げられていることや、画事に関する自身の考え方をたびたび書簡で草坪に送っていたことなどからも伺い知れる。
また、頼山陽は草坪の画に「草坪腕底無一点塵」の賛を入れてその画技を讃え、篠崎小竹は才能豊かな草坪に姪を嫁がせようとし、浦上春琴は草坪の画を中国人の画と勘違いして弟子入りしたいと申し出た、などの逸話も残っているという。
高橋草坪 たかはしそうへい (1802/1803―1833) あまり有名な画家ではない。
江戸後期の南画家。名は雨(う)、通称は元吉、字(あざな)を草坪という。
豊後(ぶんご)(大分県)杵築(きつき)の商家に生まれる。
1822年(文政5)同地を旅行中の田能村竹田(たのむらちくでん)に画才をみいだされ、その門に入った。
竹田の東遊に同道し、京坂にもその名を知られたが、天保(てんぽう)4年に夭折(ようせつ)。享年は31歳と32歳説とがある。
画(え)は重苦しい感じの山水もあるが、『筍竹蜻蜒図(じゅんちくせいえんず)』のような繊細な美しさをもった花鳥画にみるべきものがあるという。
テレビの開運鑑定団で、この作家の掛け軸がでて、本物であれば100万円のところ、偽物だったので4万円となった。若死にしたので、贋作が多いらしい。
わが家のものも、花鳥画「水草雁之図」だが、箱蓋の裏に鑑定書のようなことが書かれている。はたして本物か否か?
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