2020年9月30日水曜日

安武河内守鎮則の墓

 




新宮町上府の、千年家の近くの千歳台4号公園に安武河内守鎮則の墓がある。最近は周辺が住宅地になってきている。


安武鎮則は、 立花道雪の室、 西(仁志)の先夫と言われ、久留

米の海津城主だった人物である。ともに大友宗麟の

傘下であった。

安武氏は祖先が河内出身で、河内守を名乗り、安武初代は鑑

政、その子が鎮則(鎮教)である。

この墓は、新宮町の観光スポットにはなっていないので、あ

まり知られていない。 

 立花道雪と西(仁志)との間に生まれたのが、男勝りで有名

な誾千代ぎんちよ)なのだが、何故新宮町上府に安武の墓が

あるのか、はっきりしない。

久留米の海津城が竜造寺に攻められ滅びたとき、鎮則の息子

の政勝が落ち延びて、立花道雪を頼ってきて、その後彼に仕

え、この地に父の墓を移したらしい。

近くの上府の大分寺の過去帳に鎮則の法名があるようだ。

これは吉永正春説の一つで、その他の説もあるようだが、最

も納得のいく説である。

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