2022年4月27日水曜日

小田部氏と小田部城

 小田部氏と小田部城。

 今田美桜の母校講倫館高校周辺には小田部城(月城)がありましたが、現在はなんの痕跡もありません。
 小田部氏は、一時期九州の六国を抑えた豊後の大友氏の配下となります。当時の城主小田部統房は油山の安楽平城でなく、小田部城に居城していたそうです。
 キリシタン大名となった大友宗麟は、日向でキリストの理想郷を築こうとするも、島津氏と耳川の戦いで敗れ大友氏が衰退すると、佐賀を拠点としていた龍造寺隆信が攻めてきたため、小田部氏は落ち延びます。
 後に立花宗茂の妹を正室に迎えて柳河藩に仕えることになります。小田部氏の家臣に中牟田紀伊守元正がいます。後に子孫が薬や呉服を営み福岡の百貨店岩田屋の礎となります。
 小田部は、現在でも早良区の地名として残ってます。私が通っていた小学生は小田部の人たちもいました。当時はまだ畑も多く、小田部大根が有名だったそうですが、食べた記憶はありません。
 講倫館高校横に有田宝満神社があります。

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