2023年8月11日金曜日

馬出 稱名寺 大仏

 筑前國続風土記』によれば、元応2年(1320)に開基された。開山は乗阿上人。

 寺号の由来は、施主が稱阿・名阿という父子であり、その父子の上の字をとって稱名寺となったという。 当初は博多土居町にあり、大正9年(1920)に現在地に移転した。

小学生の頃は、寺の境内で遊んだりして、大仏の姿をよく覚えているが、中学時代に戦争で、金属回収のため姿を消した。

伊藤氏メモ福岡市博物館の発行している『企画展示解説445号』に次のような記載がある。

称名寺の「伝教大師坐像」は、かつて同寺境内にあった「博多大仏」に付属する「八宗開祖像」の一躯で、銘文から福岡仏師の高田又四郎良慶(1847-1915)が明治37年(1904)に製作したことが分かる。

 

又四郎は日本の伝統的な仏像様式と明治期に西洋から学んだ写実表現を融合した仏像を残したことで知られている。 晩年に製作した佐賀県基山町瀧光徳寺の「弘法大師坐像」にもその作風がよく表れている。()

伊藤氏メモ九州俳壇の重鎮・河野静雲が、称名寺に寓居していた昭和16年(1941)に刊行された句集が『閻魔』である。大正5年(1916)から昭和15年まで『ホトトギス』『俳諧』などに掲載された句から、高浜虚子が選んだ600句が収録されたものである。

虚子は静雲に対して、句に滲む人生観が気に入ったと語っている。

我が家にも、静雲の書「熟慮」の大きな額があったが、戦後のどさくさでなくなった。







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