立花道雪の母は由布城城主の娘だったという。
市民歴史講座で中世の話(立花城の攻防など)を24日にして、その午後湯布院温泉に休養に出かけた。
由布城は由布岳の中腹くらいにあったのだろうと思ったが、観光案内図には出ていない。翌日湯布院観光案内所で、城のあった場所を尋ねたが、若い事務員さんは当然知らなかった。
しかし電話連絡などをして、盆地のJR湯布院駅の近くにある宇奈岐日女神社(別名六所宮)の南側にある丘陵にあったことを書いた資料を出してくれた。
秀吉が九州の島津軍を討伐するときには、この城の周辺に10万の兵を結集したので、島津は戦意を失ってしまったことも書かれていた。
ここでも
立花城と同じく島津軍との対決があったことを初めて知った。さっそく宇奈岐日女神社という珍しい名前の神社にお参りして帰った。
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