九州帝国大学卒業の翌年、昭和15年の入隊から21年まで、ビルマ戦線で戦い、鉄兜に弾をうけ、支援補給をたたれ、捕虜となって収容され、1年後無事帰国できたという。
その戦場での移動地図を、私が整理したのが下の図である。
苦難の青春時代の人生には頭がさがる。
その闘争心が戦後の企業勤務時代にも継続しており、引退後の生活も計画的で、福岡市では当時最長の107歳の天寿を全うされた。
その闘争心が戦後の企業勤務時代にも継続しており、引退後の生活も計画的で、福岡市では当時最長の107歳の天寿を全うされた。
インパール作戦で苦労された話は、何回も拝聴したが、最近のNHKテレビで[ビルマ絶望の戦場」として、その悲惨さがさらに詳しく報道された。
しかしテレビ放送では、その後の英国軍の反撃に対する日本軍の撤退作戦の失敗が、さらに大きな被害になったようだ。
古賀さんの部隊は、有名な辻参謀(一時国会議員になっていた)の配下だったが、明日迎えにくると言い残して、自動車で逃げ出し、現地に取り残されて、ジャングルの中を退却中に捕虜となったということだった。
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