徳川家康の長男信康の死は、織田信長の命令によりやむなく切腹させられたというのが今までの定説であった。
先日のテレビで、静岡大学名誉教授の小和田さんが新説をだされた。
「家康が浜松城に移り、20歳の信康を岡崎城の責任者としたが、両城の家臣団の間に意見の相違がおこり、対立関係が生じた。
武田信玄が父親を追放したように、信康も父親を排除しようとする動きが生じたので、家康はいちはやく信康を幽閉し、やがて切腹に追い込んだ。」
「今までの説は、江戸中期以後の文献に出てくる話で、家康を東照権現として神格化するために創られた話である。」
戦国史を専門とする一級の学者の説なので、間違いないであろう。
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