今月現地を訪問して、はじめて此処に銅像が設置された理由がはじめて解かった。
明治26年には東京から防府へ夫婦で移り住んでいた楫取元彦は、明治30年に宮中顧問官で、明治天皇第十皇女、貞宮の養育主任を命じられて、夫婦で再び東京にもどり、その勤めをおこなった。
しかし不幸にも貞宮は明治32年に夭折されて、素彦はその葬祭の喪主をつとめ、貞宮の遺品を松崎神社(防府天満宮境内)に奉納した。そして生活の場をまた防府にもどした。これが現在の貞宮遥拝所である。
今回の夫婦の銅像はこの貞宮遥拝所の前にたてられ、貞宮を遥拝しているような方向を向いている。
二人の墓は、天満宮の南方の桑山公園にある大楽寺の北墓所にある。
楫取素彦の墓 |
楫取美和子は楫取家の墓に眠っている |
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