我が国では一般に大麻と苧麻をさし、苧麻は真麻(まお)、からむし、ラミーともよぶ。
麻の歴史は古く縄文時代から栽培され、紅花、藍と共に有用の三草とされていた。
「 麻衣 着ればなつかし 紀伊(き)の国の
妹背(いもせ)の山に 麻蒔く 我妹(わぎも)」
万葉集 巻7-1195 藤原卿
( 麻の着物を着ると紀伊の国の妹山、背山で麻の種を蒔いていたあなたがなつかしく思われてなりません)
藤原卿は藤原房前、あるいは藤原武智麻呂ともいわれているが定かではない。
この歌での麻は大麻で春に種を蒔き晩夏に収穫する。
当時、貴族階級は絹物、庶民は麻衣を常用していた。
作者は親しかった女性と共通の思い出のよすがとして
「麻衣着れば」(共寝したことが)「なつかしい」と詠った。
日本語では、ひとくくりに「麻」と呼んでいるが、英語には日本語の「麻」に相当する単語がない。
日本語でいう「麻」は、英語圏ではもっと細分化されていて、Ramie(ラミー)=「苧麻(ちょま)」、Linen(リネン)=「亜麻(あま)」、Jute(ジュート)=「黄麻(こうま)」、Hemp(ヘンプ)=「大麻」など、
その種類は、なんと20種類もある。
他にも、マニラ麻のことは英語でAbaca(アバカ)というけれど、これは芭蕉科で繊維長5ミリから1センチくらいで、多年生植物。
ヘネケン(Henequen=サイザル麻)は、石蒜科(セキサンカ)の多年生植物だ。
つまり、種類も、科目も、生存年も、繊維の長さも、全然違うのだ。
その日本に、ヘンプ以外の麻がやってきたのは、実は明治7年のことだ。ロシアに榎本武揚が公使として赴任していたが、そのロシアで栽培されていたリネン(亜麻)が、北海道開拓に役立つのではないかと、彼が、当時北海道開拓長官だった黒田清輝に、リネンの種を送った。
その種を使って、まず札幌で、リネンの栽培が始まり、その後、フランスからリネンの紡績技術を学んで、明治17年に、リネン紡績株式会社が設立された。
これに目を付けたのが安田財閥の安田善次郎であった。
彼は帝国製麻株式会社をこしらえてリネンの栽培と普及に乗り出し、この会社がいまも東証一部上場となっている帝国繊維株式会社に至っている。
戦時中は、このリネンの栽培のために、北海道だけでも、約4万ヘクタールもの土地で、リネン栽培が行われていた。これが重要な軍事物資となっていた。
その他に、マオランという種類の麻はニュージーランドとノーフォーク島の固有の常緑多年草の一種で、繊維作物として栽培された。
マオリ人がニュージーランドに到達してから、その繊維はマオリの伝統的織物(英語版)に広く用いられていた。また、ヨーロッパ人の到達後、少なくとも第二次世界大戦前まではロープや帆の材料として用いられた。
一時日本でもこの繊維植物「マオラン」(真麻蘭)が導入されて熱病のように全国農村を風靡しようとしていた。
マオランの栽培は昭和四年あたりから福岡県を中心に九州一帯に流行を始め、漸次四国、近畿と東進して、五百町歩を超える栽培面積となり次第に関東方面に進出せんとしていた。
古賀町にも昭和5年に古賀国策マオラン工場が設立され、昭和15年に高千穂製紙に買収されるまで存在していた。
この種苗分譲商は陸軍省、逓信省等の官公機関の名前を盗用しマオラン繊維はマニラ麻繊維に代るべきロープ材料で軍事上欠くべからざるものと巧に非常時熱をあおり、栽培者から種苗をどしどし買いあおって更にその種苗を高価に新栽培者に分譲して巨利を占めていた。
しかし農林商工両省の試験調査によると、当時のマオラン繊維の商品価値は低く、ロープ材料としての使用価値も悪かったので、流行に乗って貴重な土地を空費し、何時惨落するかも知れぬマオランを農家副業とすることの危険を痛感した農林省では、各府県にマオラン栽培警戒の警告を発することとなった。
しかしマオラン栽培は一時的には、商人の種苗買いあおりにより栽培農家は種苗の販売によって相当の採算はとって居たので、この投機鎮圧には監督当局も少なからず苦慮したという。
この種苗分譲商は陸軍省、逓信省等の官公機関の名前を盗用しマオラン繊維はマニラ麻繊維に代るべきロープ材料で軍事上欠くべからざるものと巧に非常時熱をあおり、栽培者から種苗をどしどし買いあおって更にその種苗を高価に新栽培者に分譲して巨利を占めていた。
しかし農林商工両省の試験調査によると、当時のマオラン繊維の商品価値は低く、ロープ材料としての使用価値も悪かったので、流行に乗って貴重な土地を空費し、何時惨落するかも知れぬマオランを農家副業とすることの危険を痛感した農林省では、各府県にマオラン栽培警戒の警告を発することとなった。
しかしマオラン栽培は一時的には、商人の種苗買いあおりにより栽培農家は種苗の販売によって相当の採算はとって居たので、この投機鎮圧には監督当局も少なからず苦慮したという。
そこで、日本古来の「麻」を、他の「麻」と分ける意味で、昭和初期頃から、日本古来種の麻を、「大麻(おおあさ)」と呼ぶならわしになった。
「おおあさ」は、音読みしたら、「大麻(たいま)」です。
ところがその「大麻」が、いまでは、まるで麻薬のような危険な植物とされてしまっていることは、みなさまご存知の通りだ。
麻(ヘンプ)は、荒れ地でもすくすく育つし、収穫高も多い。
繊維製品や紙製品としてきわめて歴史が古く、需要も多い。
その麻の栽培や収穫を規制すれば、石油から作られる化学繊維が爆発的に売れる。そうすれば石油資本は、巨万の富を築きあげることができる。
そのために、麻=大麻=麻薬というイメージを作り上げ、麻を「麻薬(=源字は、魔薬)」として取り締まりの対象にまでして、規制してしまった。
つまり、私達現代日本人が、有害植物、犯罪植物と信じて疑わない「大麻(=ヘンプ=麻)」は、実はたいへんに身近な、生活必需品だったものを、石油資本が私的な利益のために、GHQを通じて強引に「魔薬」としてまった。
そして日本に限らず世界中で、ヘンプは、農業麻栽培や、産業が破壊され、それと同時に麻を利用した文化まで否定されてしまった。
(ねずブロ参照)
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