九州歴史博物館で、ラスコーの洞窟画展が開かれている。
FB友のIさんが、展覧会をみて、学生時代、ラスコーの洞窟画をみつけた少年たちが、最初に叫んだ言葉は?と問われて困ったことを思い出したという。
(わたしもヌーベル周辺まで旅行したがラスコーまでは行かなかった。当時のフランス南西部はローカル線で、食堂車も車内販売もなく、苦労した思い出がある。)
FB友のIさんが、展覧会をみて、学生時代、ラスコーの洞窟画をみつけた少年たちが、最初に叫んだ言葉は?と問われて困ったことを思い出したという。
(わたしもヌーベル周辺まで旅行したがラスコーまでは行かなかった。当時のフランス南西部はローカル線で、食堂車も車内販売もなく、苦労した思い出がある。)
1時間ほどネットサーフィンをして、FB友の疑問に答えるWebをみつけた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/W/akebono/ake3.htm
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/W/akebono/ake3.htm
今まで見つかっている洞窟のなかで、もっとも美しい、またもっとも優れたものだといわれるラスコーを見つけたのは、四人の少年たちだった。
ラスコーの洞窟は、中部フランスのモンティニャックという田舎町の松のはえた丘にある。一九四〇年の九月十二日のことだった。
ラスコーの洞窟は、中部フランスのモンティニャックという田舎町の松のはえた丘にある。一九四〇年の九月十二日のことだった。
(パリ―がナチスドイツに占領されて3ケ月あとのことだ。)
マルセル(ラヴィダ)、ジョルジュ、ジャック、シモンの四人の少年たちは、ロボットという名の犬をつれて、いつも遊びに行く、松林に行った。
ところが、ロボットの姿が急に見えなくなった。少年たちは「ロボ! ロボ!」と犬の名をよぴ、口笛を吹いたが犬は現われなかった。
少年たちが犬の姿の見えなくなったあたりをさがすと、草のあいだに小さな穴が見つかった。
犬がこの穴に落ちたと考えるほかはなかったので、少年たちはナイフで草を切ったり、石をどけたりして穴の入口を大きくした。
穴はやがて、少年がはいれるくらいの大きさにひろがった。
小石を投げこんでみると、底についた音がするまでにかなりの時間がかかった。どうやら穴はただの小さな穴ではなくて、意外に奥行のある洞窟らしかった。いちばん年長のマルセルが、まず穴にはいってみることになった。穴ははじめはすこし斜めになっていたので、腹ばいになってはいりこんだ。
六、七メートルほど行ったところで、彼は急に一〇メートルか、一五メートルほどもすべり落ちてしまった。
そこで穴が垂直に近くなったためだった。すべり落ちたところは、かなり大きな洞窟だった。
彼らは翌朝早く、ランプや綱を持ってでかけた。
四人の少年たちは、やはりマルセルを先頭にして穴にはいっていった。
かなり進むとわりあい広いところにでた。
そこからはほとんど垂直に深くなっていた。彼らは綱をつかって下に降りてみた。
そこは広い洞窟になっていた。彼らが口笛を吹いてみると、それをききつけて、狂ったように犬のロボットが走ってきて、彼らに乱暴にぶつかった。
犬をみつけた少年たちは、ランプで洞窟の壁を照らしてみた。
すると、シモンが急に「馬!」と叫んだ。
マルセル(ラヴィダ)、ジョルジュ、ジャック、シモンの四人の少年たちは、ロボットという名の犬をつれて、いつも遊びに行く、松林に行った。
ところが、ロボットの姿が急に見えなくなった。少年たちは「ロボ! ロボ!」と犬の名をよぴ、口笛を吹いたが犬は現われなかった。
少年たちが犬の姿の見えなくなったあたりをさがすと、草のあいだに小さな穴が見つかった。
犬がこの穴に落ちたと考えるほかはなかったので、少年たちはナイフで草を切ったり、石をどけたりして穴の入口を大きくした。
穴はやがて、少年がはいれるくらいの大きさにひろがった。
小石を投げこんでみると、底についた音がするまでにかなりの時間がかかった。どうやら穴はただの小さな穴ではなくて、意外に奥行のある洞窟らしかった。いちばん年長のマルセルが、まず穴にはいってみることになった。穴ははじめはすこし斜めになっていたので、腹ばいになってはいりこんだ。
六、七メートルほど行ったところで、彼は急に一〇メートルか、一五メートルほどもすべり落ちてしまった。
そこで穴が垂直に近くなったためだった。すべり落ちたところは、かなり大きな洞窟だった。
少年たちはなんの準備もないので、相談してとにかくいちど家に帰って、懐中電燈や綱を用意して、明日もういちど出なおすことにした。
彼らは翌朝早く、ランプや綱を持ってでかけた。
四人の少年たちは、やはりマルセルを先頭にして穴にはいっていった。
かなり進むとわりあい広いところにでた。
そこからはほとんど垂直に深くなっていた。彼らは綱をつかって下に降りてみた。
そこは広い洞窟になっていた。彼らが口笛を吹いてみると、それをききつけて、狂ったように犬のロボットが走ってきて、彼らに乱暴にぶつかった。
犬をみつけた少年たちは、ランプで洞窟の壁を照らしてみた。
すると、シモンが急に「馬!」と叫んだ。
マルセルは「こんな地下に馬なんかいるもんか!」と答えたが、ジャックも「いるいる。たくさんいるよ!」と叫び、ジョルジュは、「牝牛や、牡鹿もいる!」と叫んだ。
マルセルはみんなが気が狂ったのかと思ったが、みんなはランプで壁を照らして、マルセルによく教えた。
すると、彼にも いくつかの動物画が見えてきた。
彼らは岩壁に描かれた野獣の絵を、つぎつぎに見てまわった。
それらはまるでいま描き終えたかのように、絵の具はなまなましくぬれていた。
そして、そのまるで生きているように躍動している動物たちの姿に、すっかり心を奪われてしまった。彼らはそれを彼らだけの秘密にしておきたかった。
そして翌日も四人だけで、また穴にもぐって絵を見に行った。
しかし、彼らは先史時代の人々が、洞窟に動物の絵を描いたことをまえに聞いて知っていた。彼らは、自分たちが見つけた絵も、きっと氷河時代のクロマニョン人たちが描いたものにちがいないと思った。
もしそうだとすれば、彼らだけの秘密にしておくわけにはいかなかった。
学校の先生に、彼らは秘密をうちあけた。
学校の先生は、少年たちにつれられて洞窟を見ると、さっそく、パリの洞窟絵画の研究家、アンリ・プルイユ神父に電報をうった。
パリから調査にきたプルイユは、少年たちのみつけた絵は、確かに先史時代の人々(クロマニョン人)の描いたものであり、それも今までに比べるもののないほどすばらしいものであることを保証した。
これをきいてモンティニャックの町中の人々は、総出で洞窟の絵を見にいった。
こうしてラスコーの洞窟絵画は世の中に知られるようになり、そのすばらしさを伝えきいた人々は、世界中から見物にきた。
あまり多くの見物人がきたために、光が当てられ、新しい空気が洞窟の中に流れこみ、長いあいだ、まるで描かれた当時のままに新鮮だった絵が、退色しはじめた。
そのため、はじめは一日の見物客を制限したが、それでも絵が傷むため、今ではぜんぜん穴を閉じてしまい、いっさい見ることは禁止されてしまった。
(急速に劣化したため、1963年以降から、壁画の外傷と損傷を防ぐため、洞窟は閉鎖された。現在は壁画修復が進む一方、一日に数名ごとの研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは、ラスコーの壁画は非公開とされている。
しかしオリジナルの洞窟の近くにレプリカの洞窟「ラスコー2」が1983年に作られており、こちらは一般見学が可能である。
この他、遠隔地での展示が可能な「ラスコー3」が作られており、また2015年現在新たなレプリカ洞窟「ラスコー4」が計画されている。
世界遺産として観光名所となったので、少年の一人は最近まで観光ガイドを務めていたようだ。私と同年代だから、もう90歳を越えているはずだ。)
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