東京オリンピックの映画の経緯は、安川第五郎氏からよく聞いていた。
記録映画の監督には当初黒沢明が予定されていたが、政府予算が少ないので辞退され、市川崑が担当することになった。
市川も政府予算の2億5千万では、カラーや照明など不足するから、あと1億か1億5千万追加してほしいと要求した。
安川は政府予算に、財界寄付をつのり、3億5千万の予算をつけた。
大会が終わり、試写会をみた河野一郎などが悪評をあびせた。そのためか、公開権利を交渉した映画会社、松竹、日活、大映、東映、東宝などすべて、2億5千万円では赤字になるとことわった。終わったオリンピックの記録など、大衆が見るはずがないと、映画会社幹部は思っていたようだ。
東宝だけが、1億5千万でひきうけ、利益が出た分の60%を組織委員会にリターンするという条件を付けて安川は東宝に公開権利を渡した。
公開の結果は大好評で、リターン額は7億5千万に達した。
(テレビでは、お金の話は皆無であった)
市川崑の映画が単なる記録ニュースでなく、運動の美学とまでいわれた画像だったからである。
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