この本のなかで、人間の運動と意志に関連する内容を抜粋してみる。
人間は自分の意思で、指や手足を動かしていると思っている。
生まれたばかりの赤ん坊が、その手のひらに指を置くと、かなり強い力で握り返してくる。
この本能的な行動を自動行動とよび、随意行動と区別している。
お乳を吸う行動は本能的にはじまるが、やがて欲しいときだけ吸うようになり、随意行動がはじまる。
成人のこころは、知、情,意に分類される。
われわれは、「舌を出そう」と思えば簡単に舌を出せる。「人さし指を立てよう」と思えば、片手だけならすぐ立てることができる。
つまり思え(心理過程)ば、すぐに運動(神経過程)が実現できる。
しかし人が意識するのは、起こってしまった運動で、関節や筋や腱にある感覚受容器のおかげで運動を感じる。運動の結果だけを感じるが、途中経過は意識されない。
しかし心理学の研究で、運動(神経過程)には意識されない心理過程が共存していると分かってきた。
たとえば左右の手で、親指と小指を上げようとすると、まごつく。
さらに、腕を切り落とされた人が、義手をつけるとその腕を動かすことができる幻肢は、この共存する心理過程によるものだ。
これを「アクション心理」とよんでいる。
人の意志は運動を制御するのでなく、アクション心理を制御する。
これを一般用語では、気力とか集中力などとよぶ。
ゴルフなどのスポーツで、手足や体を総合的に使う運動では、最後にこの集中力を高めることが要求される。
最初は、グリップ、スタンス、スイングなどの基本動作を訓練するが、最後はショット時の集中力を高めることが必要となる。
これを完全な沈思、完全な無我などと表現される。
指先でもなく、両腕でもなく、視線でもなく、体すべてがひとつのショットという運動過程に収斂され、これに「アクション心理」が共存して、一つの行為に集中される。
さらに、腕を切り落とされた人が、義手をつけるとその腕を動かすことができる幻肢は、この共存する心理過程によるものだ。
これを「アクション心理」とよんでいる。
人の意志は運動を制御するのでなく、アクション心理を制御する。
これを一般用語では、気力とか集中力などとよぶ。
ゴルフなどのスポーツで、手足や体を総合的に使う運動では、最後にこの集中力を高めることが要求される。
最初は、グリップ、スタンス、スイングなどの基本動作を訓練するが、最後はショット時の集中力を高めることが必要となる。
これを完全な沈思、完全な無我などと表現される。
指先でもなく、両腕でもなく、視線でもなく、体すべてがひとつのショットという運動過程に収斂され、これに「アクション心理」が共存して、一つの行為に集中される。
追記:
最近の研究で、筋肉のなかには、筋紡錘があり、錘内筋繊維には感覚神経が存在していることがわかった、
したがって、筋肉の動きは、脳神経を通過しなくても、脊髄を通って相互に連絡している。
これを脊髄反射とよぶ。
このような筋肉の運動システムが最近明確に解明されてきた。
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