2023年6月11日日曜日

五楽橋と五楽の地名 古賀の仏教 十楽


人間には五本の指があるから、上の表のように、五個に分類するのが好きだ。
 
古賀市には、五楽という字名があり、昔は久保地区のかなり広い範囲を占めていた。

小字名の五楽

中央区五楽

五楽交差点



五楽1組/新五楽の地名



五楽保育所や、五楽交差点、五楽1組、2組、新五楽などがあったが、しかしこの地区の開発がすすみ、天神地区や中央地区となったため、現在の地名には五楽がなくなり、久保の五楽交差点と大根川に五楽橋の名前が、私のマンションの近くに残っている位である。


M1が最初の居住地
M2が現在の居住地



大根川

古賀中学校から市街地にわたる橋で、自転車通学の学生が多くわたる橋である。
橋の左側の3号線の先に古賀中学校、右側傍にクロネコ宅急便センター
(この地図は上が南向きになっている。)


五楽橋



工事中の五楽橋:1本だった橋が2本になり、左側通行。

ごらくばし




語源をしらべた。:


ご‐らく【五楽】

仏語。出家楽・遠離楽・寂静楽・菩提ぼだい楽・涅槃ねはん楽の
五つの楽。五種楽。
俗語。のむ・うつ・かう・くう・ねるの五つの楽。

ご‐がく【五楽】

5種類の音楽。春はきんしつ、夏はしょう、晩夏は鼓、秋は鐘、冬はけいを用いるものをいう。

古賀には、これらの語源に関連する遺跡などは全くのこっていない。
ただ仏語のほうには少し縁がありそうだ。
空海が帰国して、すぐには京都に上れず、古賀地区で布教していた時代があり、
大根川の名前も、空海に大根を与えなかったからという伝説がある。その頃、五楽の教えを受けた地区があったのだろうと推察する。
或いは、花鶴川地区に上陸した、最澄の方の教えかもしれない。
空海と最澄の銅像が古賀市には存在している。「しこふむ」の中では、古賀市のみである。

空海像
最澄像




遣唐使でもあった二人の立像が古賀市内、海に近い場所(古賀南区)と大根川の中流(筵内区)に在るといのも珍しいのかも。
平安時代に「絶体平等」を説いた最澄(767~822)天台宗、「即身成仏」が可能とした空海(774~835は)は真言宗で山岳仏教の性格をもつ二人。
タクシーの運転手に聞くと、五楽は極楽のことでしょうと笑っていた。
二人の宗派の寺も現存しているが、五楽の地名の場所とは離れている。

  • 竜海寺 米多比)真言宗
  • 清龍寺 (清滝)天台宗

ご‐く【五苦】

仏語
中国古代仏語。
  1.  人生における五つの苦しみ。

    1. ㋐生 (しょう) ・老・病・死の四苦に、愛別離苦または犯罪人束縛送獄の苦を加えたもの。

    2. ㋑生老病死苦・愛別離苦・怨憎会 (おんぞうえ) 苦・求不得 (ぐふとく) 苦・五陰盛 (ごおんじょう) 苦。

  1.  迷いの世界である五悪趣で受ける苦。諸天苦・人道苦・畜生苦・餓鬼苦・地獄苦。

私はいまは、はやく五楽の中の、涅槃(ねはん)楽の域にいきたいだけである。
五楽のほかに、字名で仏教に関係のありそうな名前をしらべてみた。
良仙寺(良泉寺)、法恩寺、願浄寺、薬王寺は、寺の名前そのもの。
堂の本、堂の浦、寺の前、寺裏、寺田は、寺の近くを示す。
薬院、地蔵谷、毘沙門谷、法師田は何か関連ありそうな字名。

伊勢湾の長良川河口付近は、十楽の津と呼ばれていた。

十楽も仏教用語である。

十楽(じゅうらく)


往生要集』大文第二「欣求浄土門」に説示される、浄土往生した者が受ける一〇種の快楽のこと。浄土十楽ともいう。

聖衆来迎楽。臨終時に苦しみがなく、阿弥陀仏や観音・勢至菩薩来迎して浄土引接してくれる。

蓮華初開楽。蓮華のつぼみの中に寄託して浄土往生し、その蓮華が初めて開くとき、清浄の眼を得て浄土荘厳を見ることができる。

③身相神通楽。三二の勝れた特質(三二相)を持つ身と天眼などの五種の神通力を得ることができる。

④五妙境界楽。浄土では、五感の対象となるものすべてが、清らかで勝れたこよなきものとなっている。

快楽無退楽。浄土では、行者がもはや退転することなく楽を受けることができる。

引接結縁楽。縁故のある人びとを浄土に迎えとることができる。

聖衆俱会楽。多くの聖者たちと浄土で会うことができる。

見仏聞法楽。仏を見ることや、仏の法を聞くことが容易にできる。

⑨随心供仏楽。心のままに自由に阿弥陀仏十方の諸仏を供養することができる。

⑩増進仏道楽浄土の勝れた環境によって自然仏道を増進して、ついにはさとりを得ることができる。

往生要集』では、『群疑論』五には浄土の三〇種の利益が、『安国鈔』では二四種の楽があることをあげて、浄土がいかに素晴らしいところかを説き、欣求浄土を勧めている。

また、十楽和歌の題材ともなり『新古今集』「釈教歌」に「十楽の心」を詠んだ歌が集載されている。さらには、源信に仮託した『十楽和讃』なども有名である。

伊勢湾の長嶋地区は、十楽と呼ばれていた。


五楽は五落が変化したという説があるそうだが、どちらであろうか。


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