2023年6月26日月曜日

野見山暁治画伯の人生





    2023.6.23.
自然の描写から生まれる力強い造形と色彩で独自の画風を築いた画家で文化勲章を受章した野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)さんが22日、心不全のため福岡市南区の病院で亡くなった。102歳。葬儀は近親者で営んだ。

野見山は福岡県穂波村(現飯塚市)にて、炭鉱経営者の子として生まれる。

東京美術学校(現東京芸術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化。

帰国後は東京芸術大学で教え、美術学部助教授教授などを歴任し、同大名誉教授となる。

2023年6月22日、心不全のため死去。102歳没。


    最初の妻、内藤陽子は妹の友人だった。フランスに呼び寄せてわずか1年でがんを発症し、闘病の末に早世した。
    (野見山の実妹は田中小実昌の妻。田中の死去まで実の兄弟のような交流があった。姪(田中の次女)は小説家田中りえ。)
    陽子は内藤武宣京都放送元常務、竹下登の娘婿)の姉であるため、武宣の子である影木栄貴(漫画家)とDAIGO(歌手)姉弟は、野見山からみて義理の姪甥に当たる。
    パリー留学当時の夫婦
    後妻に福岡で有名な高級クラブ「みつばち」を経営していた武富京子を迎え、別居結婚の形をとるもたびたび九州へ足を運んでいた。
    九州滞在時は20代からなどの病歴があった後妻を健康面・店の経営面両面から支え続けた。後妻は後年までクラブを切り盛りするも、2001年、体力の限界などからクラブを完全閉店し、まもなく死去


    わたしは、野見山画伯との接点はないが、武富京子夫人とは和白のゴルフ場で同伴したことがある。中洲で有名なミツバチのママであった。
    その後テレビで、糸島の画廊でのお二人の生活が紹介されたり、100歳すぎた元気な画伯の活動が紹介されて、驚いていた。

    糸島のアトリエ

    ステンドグラスの作品


    野見山亮治財団やその事務長で、画伯の秘書であり、養女でもあり、嘉穂高23回の同窓生でもある画家 山口千里さんたちが、本人の意志により、野見山美術館は作らずに、遺作品を全国の美術館に寄贈して、多くの観客に鑑賞してもらうことにされたようだ。
    秘書・養女山口千里さんと
           ご冥福をお祈りします。 合掌。

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