2023年6月5日月曜日

中津城と奥平氏

 中津城は、黒田孝高が築城をし、細川忠興が完成させた城です。

堀には海水が引き込まれていて、今治城や高松城と並ぶ日本三大水城の一つです。

まず印象的なのは真っ黒な外観と石垣に対して、石垣から大きくはみ出てしまうような天守閣の姿でしょう。

そして、もう一つは、長篠の戦の展示が行われています。江戸時代1717年に中津の藩主となった奥平家は、武田勝頼の猛攻の中で長篠城を死守した輝かしい歴史を持っています。

大河ドラマどうする家康で有名になった「磔になった鳥居強右衛門の絵」は、中津城に保管されており、一度見ると強烈に記憶に残ってしまうと思います。

なぜこの絵が中津城に保管されているのかを調べてみました。

鳥居強右衛門の主君奥平信昌は、三河国北東部の山開地に拠り、松平、今川、徳川、武田と、めまぐるしく主人をかえたが、信玄の死を家康に内報して徳川方に復帰しました。
この時、信昌の弟と妻は武田の人質になっていたため、殺されました。

このため家康は、築山殿との娘で、信康の妹である亀姫を、信昌と結婚させました。

長篠合戦の時の長篠城主として奮戦した信昌一族は、その後徳川軍の譜代大名として、美濃国加納、宇都宮、古河、山形、宇都宮、宮津を経て、中津藩に10万石で入封しました。

その間鳥居強右衛門の絵は、一緒に移動してきて、現在中津城に保存されているそうです。




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