2024年3月4日月曜日

古賀市今の庄の地名由来と自治会

 私の住むマンションの地名は、古賀市今の庄1丁目です。



郷土史研究会の飯島会長の調査報告によると、平成7年(1995)11月の新住所表示より、「今の庄」の地名が新しく付けられたのです。

その理由は、大根川と谷山川の合流地の東側に新3号線が通り、川と国道で囲まれたこの地区に、大字の、古賀、久保、庄、今在家の一部が入り交ざっていたため、郵便配達や消防暑の人達が、場所の特定をし難くなったからです。

地名審議会では、新庄、西の庄、今の庄、けやき、末広、扇が候補になり、今の庄とけやきにしぼられたが、結局「今の庄」に決定されました。

(けやきは、この地区の町道5号線に欅並木が植えられていたので、住民の希望が多かったようです。)

この地区には、昔の荘園があり、庄の小字が多く残っており、国道3号線には、「庄」の交差点があり、市役所手前には「庄橋」があります。

「今の庄」の地名は一般に鎌倉時代以降につけられる事が多い地名。
「庄」は荘園の略字で,「今」は新しいという意味で荘園の中心とした「本庄」と,新しく開墾された場所を「新庄」又は「今の庄」と地名が付くのが多い。

住所表示は、今の庄1丁目、2丁目、3丁目と、南北に3分割されています。



しかし自治会は町道5号線を境に、庄北区と庄南区にわかれていて、両区の公民館が、庄交差点の近くにあります。

会合は北と南の合同でおこなわれる行事も多いです。


小学生の通学校区は、1丁目が東小学校、2丁目は東小学校と花鶴小学校、3丁目は青柳小学校と複雑な分割になっているのは、今の庄になる前の区分が残っているからでしょう。

3小学校の学童数の調整場所になっているようですが、小学生にとっては友達が別れることも

ありそうです。学校ごとの文化祭などでは、住民も分割されます。

私のいる庄北区の隣組は、16組で、次のとおりです。

落合北;2組、梅ヶ丘北;5組、梅ヶ丘東;4組;島の元;2組、川寄;3組

落合、島の元、川寄は、昔の小字名ですが、梅ヶ丘は新しい名称で、庄南区にも、梅ヶ丘南や梅ヶ丘西があります。昔の小字名に梅添があったのが由来でしょうか。

国道3号線側から、市役所側に向かって地形が下っていますが、昔の地震で花鶴川付近が沈下したそうです。

庄交差点から市役所へ向かう道

2,3町目境界の青柳川


2町目大根川落合からみた鹿部山

3丁目と花鶴団地の境界の谷山川


最近発行された「花鶴発見伝」にも、花鶴と今の庄の関係が、詳しく記載されています。

97歳の投稿者は、私のことです。





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