2026年4月15日水曜日

日野原の成人病のはじまり

 1970年、当時58歳だった日野原重明は、学会へ向かう途中に「よど号ハイジャック事件」に遭遇します。北朝鮮を目指す犯人グループに拘束され、いつ殺されてもおかしくない極限状態を数日間過ごす中で、彼は死の恐怖と正面から向き合うことになりました。無事に解放されたとき、彼の心に宿ったのは「拾った命を、単なるキャリアの継続ではなく、日本の医療を根本から変えるために捧げる」という強烈な使命感でした。

この揺るぎない決意は、1970年代から当時の医療界の常識を次々と塗り替えていく力となります。死を語ることがタブー視されていた時代に、末期がん患者などの心のケアを重視する「ホスピス」の導入に尽力し、1977年からは、それまで「成人病」と呼ばれていた病気が日々の習慣に起因することに着目して「生活習慣病」という言葉を提唱し始めました。この新しい考え方は1996年に厚生省(当時)が正式採用するに至り、日本の医療を「治療」から「予防」へと劇的にシフトさせるきっかけとなりました。さらに1992年には、聖路加国際病院の新築に際して「災害時に廊下でも酸素吸入ができる」という異例の設計を主導しましたが、これが1995年の地下鉄サリン事件において、一度に数千人の負傷者を受け入れ、命を繋ぎ止める救命の要となったのです。
100歳を過ぎても現役の医師として診察や講演を続け、2017年に105歳で生涯を閉じるまで、彼は「老い」を単なる衰えではなく、新しい生き方の創造であると身をもって示し続けました。死に直面した恐怖を「生への情熱」へと転換した日野原重明の生き様は、今もなお多くの人々に深い勇気と希望を与え続けています。

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