2015年9月20日日曜日

愛新覚羅社

 下関市綾羅木の中山神社の境内には、この近くで暗殺された中山忠光の墓があり、戦後に愛新覚羅社がつくられた。昨日はじめてお参りをした。


 (その後NHKのテレビで紹介されたので、その写真を追加している。)
 忠光の曾孫娘になる浩(ヒロ)が、日中の架け橋となる覚悟で、愛新覚羅溥傑と結婚したのは、昭和12年2月であった。。

彼は清朝最後の皇帝溥儀の弟で、愛妻・嵯峨浩(ひろ)と新婚時代の半年間を千葉県稲毛区稲毛浜で過ごした住居が今ものこっている。








稲毛浜の住居


中山家の系図
溥傑(1907-1994)は、日本の学習院に留学し、卒業後は旧陸軍士官学校に進んだ。満州建国で帰国し、即位した兄・溥儀を助けたが、昭和20年にソ連が満州に侵攻し、逃れる途中、兄とともに捕虜となった。浩らも中共軍に囚われたが2年後に釈放され、帰国した。戦後中国に送還された溥傑は、昭和35年まで戦犯として服役し、その間二人が交わした往復書簡は55通になっていた。
二人の交わした往復書簡
釈放後にようやく妻との再会を果たし、晩年までむつまじく暮した。

平成6年に北京で亡くなるまで、その一生を日中友好に捧げ、両国の架け橋となった。
二人で何度かこの中山神社をおとずれたことがあるから、その遺言で愛新覚羅神社ができた。
社殿は中国の方向にむかって西向きに建てられている。
中山神社


愛新覚羅社正面
愛新覚羅社入口
その奥の宝物殿には、愛新覚羅溥傑と浩の肖像画や、二人の間に生まれた慧生の写真などが展示されている。
戦後、慧生の心中事件は有名であり、昭和史の社である。
二人の肖像画
慧生の幼児の写真




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