2018年5月12日土曜日

黒田氏家紋の諸説

黒田の家紋は、藤紋という説が一般である。わたしの手元の図書やネットでも「左三つ藤巴」の図を載せているものが多い。
左三つ藤巴紋
しかし黒田官兵衛のような波乱万丈の人生をおくった人物には、家紋にも多くの説がある。

官兵衛の父、黒田職高が小寺家に仕官したとき、小寺家の家紋「橘藤巴」をもじって、「藤巴」を家紋にしたという説がある。
橘藤巴紋


有名なのは、荒木村重を説得するため有岡城に乗り込んで捕らえられ、獄中生活のなかで藤の花の生命力に勇気づけられて、藤巴を家紋にしたという説である。この説では「一つ上り藤」である。
一つ上り藤巴紋

その事件の時、竹中半兵衛が、官兵衛の無実を信じて、息子の命を救ってくれたことに感謝し、竹中半兵衛なきあとは、竹中の家紋「黒餅紋」を黒田家の「おもてもん」とし、その後、分家の秋月藩の家紋を「三つ藤巴」とした。

黒餅紋
左三つ藤巴紋

竹中半兵衛の家紋は、「九枚笹」であったが、あるとき鏡餅を懐に入れて出陣したところ、矢が飛んできてあたったが、餅のおかげで怪我しなかった。これを記念して「黒餅紋」に変えたという。
九枚笹紋

明治維新となり、日本の国旗が日の丸となったので、黒田家の家紋「黒餅紋」が国旗とまぎらわしくなったので、藤巴紋を「おもてもん」に変更した。
その他、時代は不明だが、歴代藩主の時代には、「三つ橘」や「永楽通宝」の家紋も使用された。
以上手元の本から、家紋をピックアップしました。



三つ橘紋
永楽通寶紋








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