2016年6月6日月曜日

藤原道長の出世

藤原道長は北家の生まれで、しかも五男坊であった。




1)長男・三男の死亡と次男・四男は側室の子で、五男に幸運が転げ込む。
2)長男の子供伊周との出世争いが続くが、姉詮子の支援をうけて上位にたつ。。

3)娘、彰子を一条天皇に嫁がせようとするが、なかなか気にいられぬので、紫式部を家庭教師につけて教養をつませる。
4)その結果、一条天皇も教養にひかれて妃にむかえる。
5)そして敦成親王が誕生する。
6)大原野神社への行幸に天皇と同行するまでになる。
7)左大臣を長くつとめ、最後は関白の位につくが短期間であった。


8)御所に匹敵するくらいの京都御苑、邸宅、法成寺などをつくる。




9)子息が宇治に平等院をつくり、満足の人生をむかえて、成仏する。。

2016年6月5日日曜日

古賀の郷土史と聖徳太子

 

 私が古賀の郷土史に興味を持ち始めたのは、昭和から平成に変わった頃からである。職場も北九州から九州産業大学にかわり、地元に知人が増えたことも影響した。
 
 その中で、古賀が聖徳太子と縁があると知ったのは、平成10年の郷土史会で長崎初男氏が、谷山銅山と京都妙心寺の国宝の鐘の関係を話され時からである。

 その後このテーマにとりつかれ、図書やネットでの調査と、奈良や兵庫の史跡をたずねたりして、私なりの意見をまとめて、旧職場のOB会の冊子に投稿したのが平成12年である。
 さらに郷土史会で調査研究を続けて、はじめて研究成発表冊子を発行することにして、その1節にこの内容を記載したのが、平成17年である。

 昨日は福岡大学の桃崎祐輔教授が
  「船原古墳の馬具からみた聖徳太子時代の糟屋屯倉」
という題で講演された。

 その結論のひとつとして、船原古墳の埋葬者の候補の一人として、聖徳太子の弟の、来目王子が考えられるといわれた。
 私も糸島の来目王子の墓を訪ねたことがあるので、非常に興味をひかれた。

 長崎氏や私の説は、文献史学的なものであり、当時は船原古墳の馬具出土前だが、桃崎氏の説は、さらに馬具出土結果から、考古学的裏付けをされた説なので、非常にレベルの高いものだ。

 とくに出土品のなかで鳳凰をデザインした花形杏葉が、奈良県珠城山3号墳のものと酷似していることが、奈良と糟屋をむすびつける証拠となるようだ。

 また同種の馬具の分布が、壬生部の分布と密接に関係していることを、膨大な資料から導いて、物部が滅びたあと、蘇我氏と親しかった上宮王子家や舂米部、その壬生部などが糟屋屯倉の管理者になった可能性をしめされた。

 聖徳太子や山背大兄王の背後の壬生部(みぶべ)の本拠地があったのは、東三河ということは承知していたが、秦氏までがそれを管轄する立場にあったと考えると、非常に広範囲になるのだ。


馬具の出土した船原古墳の近くの谷山神社地区には、仁部家が多くあり、壬生部とのつながりがありそうだ。

 糟屋、古賀地区は磐井の乱後に、物部氏→大伴氏→膳氏→舂米氏と支配勢力が変化した考えれば、長年聖徳太子一族との関係を探してきた思いは、桃崎先生の説で一層強いものになった。

2016年6月4日土曜日

ネアンデルタール人

ネアンデルの谷(タール)で発見された人骨だから、旧人類にこの名前がついた。

その発見者赤沢威さんがリーダーとなって、旧人類から新人類(ホモサピエンス)に交替していった真相を追究する大プロゼクト研究(役100名)が5年間続けられた。

人類進化の歴史は猿人以前からみると700万年と長い。


原人時代にはいり、アフリカからアジア、欧州にひろがった旧人と新人が、微妙にわかれて進化したが、旧人は滅亡していった。

その原因は学習能力の差にあったことが、このプロジェクト研究の結果で、結論付けられた。


研究手法は、大きく次の3分野にわけられ、各分野の専門家が分担して行った。
     学習能力進化(数理生物学・環境科学)
     学習行動復元(考古学・文化人類学)
     化石脳機能(生体力学・神経科学)

              
個別の詳細な説明は別の機会にかきこみする。
学習能力が高まりすぎて、現代人は原爆をつくり、人類破滅えの道を歩んでいる。
オバマ大統領のメッセイジを真剣に考えよう。

古賀市の中世城館跡(不動山、城の山など)

古賀市の中世城館跡は、8か所ある。
①鶫(つぐみ)岳城 304m :清滝 
②臼ケ岳(薦野)城291m : 薦野
③米多比城259m:米多比    
④四万城145m :町河原
⑤古子城100m :青柳  
⑥小松岡砦 :薦野
⑦鷺城:筵内
⑧新城山城:「青柳・谷山の境界山]



①~③がメインの中世山城である。
①鶫(つぐみ)岳城(清瀧よりみた山姿)

②薦野城の立体モデル

②薦野城・➂米多比城の地図



①鶫(つぐみ)ケ岳の山城。不動山ともいう。標高304~340mで最も高い山城。



標高291.3m「薦野城(城の山)」より規模が大きく『筑前国続風土記』にも記された。
戦国時代、宗像氏ににらみをきかせる薦野氏、立花城の支城としての軍事拠点だったようです。
中腹に災害よけのお不動さまが祭られている。(巨岩石)


注)標高は304mと紹介されているが現地には337mの標識がある。
調査の結果、諸説あり。 
四捨五入で「340」で如何?

1)古賀市都市計画図(1992年撮影、1998年修正:アジア航測株式会社)340.2m

2)古賀市都市計画図(2009年8月撮影:国際航業株式会社)342.5m

3) 中西義昌『福岡県の城郭』(2009)文と縄張り図「つぐみ岳340.2メートル」

4) 古賀市歴史資料館回答資料(2016.1.19)鶫ケ岳山頂(標高304m)メートル

5)薦野案内マップ2016年2月(薦野の歴史をつなぐ会)304m

6)登山愛好家情報提供 1カ月前(2016.5)山頂現地確認情報(336.7m)

7)国土地理院地図2016.6.5確認335m

(2016年6月5日10時26分)  吉住市議のレポート。

②薦野城、 ③米多比城

② 薦野城山

➂ 米多比城山
④、⑤は次のブログで説明している。



最後の鷺白山の⑥鷺城は熊野神社の山になっている。

その他、鹿部山、岳越山、前岳などにもなんらかの砦などがあったと思われている。鹿部山砦の子孫は長崎氏といわれている。

2016年6月3日金曜日

ネアンデルタール人

ネアンデルの谷(タール)で発見された人骨だから、旧人類にこの名前がついた。
その発見者赤沢威さんがリーダーとなって、旧人類から新人類(ホモサピエンス)に交替していった真相を追究する大プロゼクト研究(役100名)が5年間続けられた。

人類進化の歴史は猿人以前からみると700万年と長い。

原人時代にはいり、アフリカからアジア、欧州にひろがった旧人と新人が、微妙にわかれて進化したが、旧人は滅亡していった。

その原因は学習能力の差にあったことが、このプロジェクト研究の結果で、結論付けられた。
研究手法は、大きく次の3分野にわけられ、各分野の専門家が分担して行った。
     学習能力進化(数理生物学・環境科学)
     学習行動復元(考古学・文化人類学)
     化石脳機能(生体力学・神経科学)
       
               









学習能力の向上が人類の生命力の高まりとなったのだが、高まりすぎて、現代人は原爆をつくり人類破滅への道を歩んでいる。
オバマ大統領のメッセイジを世界中の人類が真剣に考えて、存続の道を歩むようにしよう。

2016年5月31日火曜日

オノ・ヨーコの家系

ヨーコ・オノ(小野洋子)は1933年2月18日、銀行家の小野英輔と財閥安田善次郎の孫・磯子の長女として東京府(現:東京都)の裕福な家庭に生まれた。

父の英輔は、ピアニストから銀行員となり、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行サンフランシスコ支店副頭取。
2歳で父が暮らすサンフランシスコへ転居したが、2年後、母と帰国し、幼少期は安田家の鎌倉の別荘で暮らした。


父方の祖父は日本興業銀行総裁の小野英二郎。
母方の曽祖父は安田銀行創設者の安田善次郎。
 
(父方)
小野英二郎は、柳川藩士の家に出生。

立花四天王の小野鎮幸の末裔と言われることが多いが、小野鎮幸嫡系の小野家との関係は不詳。(立花城跡の近くに住む筆者としては、この関係が明白になることを希望する。)

(立花道雪の武将:四天王の一人小野鎮幸は、宗茂の失格後は加藤清正に抱えられ、慶長14年6月23日、肥後にて死去。享年64。数年後、宗茂が柳川城主に返り咲くと、鎮幸の子孫は呼び戻され代々大組組頭兼家老を世襲した。)

英二郎は明治13年、同志社英学校2年に入学。新島襄から洗礼を受ける。明治17年オバーリン大学に留学する。

大学卒業後はミシガン大学大学院に進み、Ph.D.を取得。
帰国後、橘蔭学館教頭を経て、同志社に赴任。同志社政法学校の創立事務を担当。明治24年の開校後は教頭に就任する。
明治29年、日本銀行総裁川田小一郎の招きにより日銀に入行。その後日本興業銀行に移り副総裁を経て、大正13年第4代総裁に就任した。昭和2年、在職中に心臓麻痺で逝去。


栄二郎の娘・寿満子は初代国連大使の加瀬俊一 の妻。
だからヨーコは外交評論家の加瀬英明氏の従妹。

(母方)
安田善次郎は富山藩下級武士の安田善悦の子としてうまれる。
安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。
1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。
最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立した。
九州ラーメン研究会代表の原達郎さんが、オノ・ヨーコの本家の再興に注力されていた。コロちゃん前、柳川を訪れた海外からの観光客は、再興されたオノ・ヨーコの本家跡に大喜びするそうだ。遺ったのは門だけですけど、荒地だった場所に花壇を設けたりと、綺麗になってます。
『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』加瀬英明著、祥伝社新書
・ジョン・レノンから日本を再考する一冊
 タイトルのジョン・レノンという名前に惹かれて本書を手にした。ジョン・レノンは親日的だが、その根本を探ろうというのが本書の試みだ。ジョン・レノンを通じてというよりも、ジョン・レノンも惹かれた日本文化の背景を考察した内容となっている。
 そもそも、著者がジョン・レノンを引き合いにしたのは、著者とオノ・ヨーコさんが従兄弟関係にあるからだ。オノ・ヨーコさんはビートルズを解散させた魔性の女と巷間言われているが、詳細にジョン・レノンの身辺をみていくと、ビートルズは解散すべくして解散したというのがわかる。むしろ、ジョン・レノンはビートルズの求める音楽の世界よりも、オノ・ヨーコさんの精神構造を成す日本の武士道に惹かれたのではないかと想像する。ジョン・レノンは日本の神道に惹かれたと著者は論じるが、オノ・ヨーコさんの先祖は九州柳川藩士の末裔であり、ジョン・レノン自身、本名に「オノ」という家名を実名に取り込むほど武士に憧れをもっていた。
 いずれにしても、世界各地の宗教の相違、文化の差を痛いほどに知り尽くした著者であるが故に、その考えに異論は無い。著者が語るように、さほど、人間関係、洋の東西に大きな思考の開きがあるということを改めて知る一助になる。
 オノ・ヨーコさんを通じて日本を感じたジョン・レノンを考えるヒントが詰まった内容である。同時に、自然と共生してきた日本人の姿を再認識する一書でもある。

画文共鳴


主な冊子: 明星;密室;みだれ髪;ラ・ブリューム;ヴェル・サクルム
その他の印刷物: かるた;ポスター;機関誌;挿絵;装丁

主な文学者:与謝野鉄幹・与謝野晶子・萩原朔太郎

主な画家:藤島武二・竹下夢二・恩地孝四郎・田中恭吉・井上凡骨・一条成美

欧州の画家:アルフォン・ミュシャ:ピエール・ボナール:ロートレック:エミール・オルリク