古賀市の中世城館跡は、8か所ある。
[薦野・舎利倉]
①臼ケ岳(薦野)城 、②小松砦、③鶫岳城
[米多比]④米多比城、
「筵内:青柳町」
⑦鷺城、⑧新城山城
追記:
四万城と古子城の場所はあまり知られていない。
わが家のリビングから北側に尾東山がみえる。
122mの里山だが、ここにも立花山城の出城があったらしい。
また、四万城または四方城と名付けられた山城が、福岡県教育委員会が刊行した「福岡県の中近世城館跡Ⅱ~筑前地域編2~」で、古賀市に所在する中近世城館跡のなかに記載されていると、吉住市議が紹介されている。
「うるわし古賀」という市の本にも四万城の名前だけは載っているが、場所の記載はないので、いままでしらなかった。
尾東山には昔一度登ったことがあるが、城跡らしきものはなく、周囲の展望もよくないので、山城のイメージはなかった。
古子城は左下の尾東山の西:四万城は右下の愛鷹神社の南 |
しかし樹木を伐採すれば青柳村周辺は一望できる地形であり、立花城の出城としてはよき場所である。
峰続きの西側の古子山城のほうは立花鑑載が落ち延びた史実があるが、四方城のほうは戦もなく、名前が埋もれてしまったのだろうか。
其の後吉住市議の調査で、つぎのようなことが判明した。
1.四万城(しまん)は青柳町大浦所在の山上。地図の通りだが、文化課担当は「推定地」と表記する。
2.新城山城(しんじょうやま)は、谷山側に近い採石場付近。「周辺の丘陵は砕石によってかなり損なわれ既に消滅してしまった可能性が考えられる」(県報告書25頁)
3.古子城(ふるこ)は尾東山(標高122m)の丘陵部
100mに位置。唐津街道に近く立花城の出城とされる。
四万城推定地 |
四万城は、古賀ダム近くの砕石場に行く道路横の145mの山という報告があった。この山の名前は不明だが、むかし調べた資料では、寝太郎山といわれて場所のようだ。
早速でかけてみたが、道の手前には古賀で有名な増田桐箱の工場があった。
増田桐箱工場側より山をみる |
また、尾東山は古子城の範囲に含まれることが解って、すっきりした。
尾東山山頂の祠 |
古子城(この図は上が西向き) |
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