2013年1月11日金曜日
鹿部大池
現在のJRししぶ駅の前には鹿部大池があった。
昭和55年頃宅地探しでこの周辺を案内されたことがある。当時は水はけが悪そうなのでここは敬遠した。
平成のはじめ頃はこの周辺の草むらで、消防団が池の水を利用して放水訓練を行っているのを見たことがある。
ししぶ駅と住宅団地の計画がはじまって、その事前調査段階で、永浦古墳(平成9~10年)や粕屋屯倉遺跡らしいもの(平成11年)が発見され、何回か現地見学会に足をはこんだ。記念歴史公園の建設計画を喜んで、千鳥池のように池の保存の話には気が廻らなかった。
この地区で畑を耕作していた人の話では、平成12年6月まで畑が借りれたが、以後は造成のため中止となり、やがて埋め立て工事ははじまったという。
この工事は鹿部土地区画整理組合が造成した住宅団地で、「四季彩の杜美明」と名付けて分譲開始されたのは平成18年7月29日であったが、その前の平成17年10月頃には美明保育所が既に完成していた。組合関係者の話でも、埋め立て開始は平成12年ということが明確になった。
以上の経緯から、田辺県議のブログで紹介された「平成18年頃の池の写真」というのは存在しない筈であり、平成8~10年頃の誤りではなかろうか。
平成20年はじめ頃から駅の建築がはじまり、平成21年3月にししぶ駅は開業した。
ししぶ駅東口側には写真のようなモニュメントと記念碑があり、かってこの地にあった鹿部大池(通称レンコン池)を偲んぶもので、レンコンの穴を過去・現在・未来を往来する窓にみたててあるそうだ。
埋め立てまえに生物調査をされた古賀市歴史資料館館長の石井先生の話では、大池には、ハスの花が咲き、レンコンが採れ、フナも泳ぎ、周辺の丘陵にはブナ科・マンサク科・クスノキ科などの照葉林が拡がっていたそうだ。
歴史的には豊かな農地だった糟屋屯倉の遺跡、鹿部山から出土した経筒、玄界灘の磯でとれた魚貝類の遺跡、海上交通の要所だったことから兵士の甲冑の出た古墳などが発見さた。
これらを8種のモニュメントにした柱が駅前広場に飾ってあり、この地の歴史と環境をイメージさせている。
江戸時代には、朝鮮通信使が相の島に宿泊したときには、鹿部大池の鯉がもてなしの料理に出されたという記録も残っている。
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