昨晩のテレビで登場した佐々成政は、一時は肥後一国の領主だったが、前田利家と肩を並べる武将のライバル対決は、戦国の乱世での失敗の連続だった。
1)信長が本能寺の変後、信勝を担ぐ。
自分のリーダーに織田家の信勝を選んだ。これは家康と同じだから誤りではないが、廻り道となった。
2)前田利家の末森城を攻撃。
前田領の分断を狙い、能登七尾の末森城を大軍を率いてあと一歩のところまで攻めながら、利家の奇襲にあい敗走した。武将としての失敗も大きいが、攻め落としていたとしても、秀吉と前田の連合軍に取りかえされていたかもしれない。
3)肥後で国人の一斉一揆にあう。
その後秀吉に服従し九州征伐で功をあげたので、肥後一国の領主となったが、太閤検地を急ぎすぎて、国人の一揆がおこり秀吉の怒りをかい、切腹させられる。
前田利家との差は、時代の読み方の差であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿