溥儀が僅か3歳で皇帝となった当時、広田弘毅は外交官としてはじめての赴任先が北京で、1907~1909年の2年あまり滞在した。
溥儀と面会できたか否かは不明であるが、恐らく紫禁城に幽閉状態の末期の清国皇帝だったから、面会は無かったであろう。
その後広田は国内勤務、アメリカ、オランダ公使、ソ連大使などを勤め、直接中国に滞在したことはなかったが日中友好派であった。
ただしソ連大使としては、満州国が日本の傀儡政府でなく、独立した新政府ということを欧米各国に認めさせることに貢献した。
この成果が評価されて、帰国後外務大臣として起用されるようになった。
しかし皇帝に担ぎ出された溥儀にとっては、独立国の実態は不満なものであっただろう。
1935年3月に溥儀が初めて日本訪問した時には広田は外相として何処かで顔を合わせている筈だだが、詳しい記録はないようだ。
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