関ヶ原の戦で敗軍の将となった石田三成。その人生を主とした歴史番組を今週みた。
敗者は悪者のイメージが強いのが慣わしであるが、幼少の頃からの英才であったのは確かである。
、有名な、秀吉に差し出した茶三杯の温度差の話からはじまった。これで秀吉の近侍500石となり、田畑の領土より広い葦の沼地をもらって葦刈に課税して1万石相当の収入をえた。
賎ヶ岳の戦では実戦に参加していないが、僧侶を活用した情報集めや、農民をつかった松明作戦などの功績で4万石をもらった。
小田原攻略の戦では、忍城の水攻め攻撃を命じられ、大規模な工事を短期間に達成して、33万石で筑前入りを打診された。
しかし秀吉の側近で仕えることを選んだため、九州との縁は途切れたが、もし筑前に来ていたらどんな国になっていただろうか?。
その後たどった人生は衆知の通りである。
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