しかし 中津城周辺を制覇した黒田軍が出軍してきたという情報がはいり、城攻めを解いて南下し、立石城に本陣をおき、別府の石垣原で戦陣をひいて待ち構えた。
別府市の小高い実相寺山の西側の公園に黒田如水本陣跡の石碑が立っている。2Kmほどはなれた立石山の中腹に大友軍の本陣跡がある。
石垣原古戦場址の石碑 |
黒田如水は実相寺山の西側に本陣をおいて対戦した。
黒田如水本陣跡の石碑 黒田軍は井上九郎衛門などの活躍で勝利し、大友側の武将吉弘統幸は討ち死にした。 (統幸は立花宗茂の従兄弟であり、叔母が義統の妻である。また井上と吉弘は旧知の仲であった。) |
吉弘統幸墓場の説明板 |
統幸が討ち死にした場所に吉弘神社に彼の墓があり、辞世の歌の石碑もある。拝殿の再建は子孫の寄付金で行われたという。
碑文の読み方
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吉弘神社拝殿 |
大友義統本陣跡 |
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