2015年7月12日日曜日

二川相近

黒田藩士「二川相近」は、はじめ亀井南冥に学んだが、中年より貝原益軒を尊敬した。
漢詩文に長じていたが、歌作にも熱心で、万葉・古今の風を慕い、また新体もいとい、一家の体をなした。
本居宣長に点を請い、田尻梅翁に学び、青柳種信・井手伊明らと交りがあり、筑前の国学を担う一人である。
また書、和歌・音楽(琵琶・雅楽)などをこなす江戸「化政期」の筑前文化を代表する人物の一人である。
相近の書2


相近の書1








           
弟子には石松元啓・大隈言道その他がいる。
また長女二川鶴子も和歌や書にすぐれ、次女瀧(玉篠)も書や音曲と画が得意であったという。
二川家の墓は中央区の円應寺にある。
二川家の墓

二川一族は隠遁的であったためか、その肖像画や書、画はあまり世に知られていない。

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