漢詩文に長じていたが、歌作にも熱心で、万葉・古今の風を慕い、また新体もいとい、一家の体をなした。
本居宣長に点を請い、田尻梅翁に学び、青柳種信・井手伊明らと交りがあり、筑前の国学を担う一人である。
また書、和歌・音楽(琵琶・雅楽)などをこなす江戸「化政期」の筑前文化を代表する人物の一人である。
相近の書2 |
相近の書1 |
弟子には石松元啓・大隈言道その他がいる。
また長女二川鶴子も和歌や書にすぐれ、次女瀧(玉篠)も書や音曲と画が得意であったという。
二川家の墓は中央区の円應寺にある。
二川家の墓 |
二川一族は隠遁的であったためか、その肖像画や書、画はあまり世に知られていない。
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