『アジア主義者中野正剛』中野泰雄著、亜紀書房
・停滞するアジア主義研究の再開は中野正剛から 浦辺登 評
しかし、本書は中野の四男であり亜細亜大学教授(当時)の中野泰雄の手によるもので、昭和63年(1988)に刊行された。直系だけに、中野正剛を神格化した内容に満ちているのではと訝る。
しかしながら、さにあらず。中野正剛の情勢の見込みの甘さ、弱点を指摘する。ある時には、斬り捨てる。これは、著者が別人格として中野正剛の評価を試みていることの証だが、爽快さすら憶える。このことは、逆に読者の信頼を大いに増している。
世間一般は中野正剛を政治家として見る向きが多い。しかし、著者は正剛を歴史家として見るべきではと示す。この点は、実に合点がいく。新聞記者、衆議院議員という履歴から中野を言論人、政治家と見るのが通例。それだけに、これは新たな蒙を啓かれた。
全8章、260ページで構成される内容は、中野正剛の紹介もさることながら、『日本及び日本人』『東方時論』『東大陸』などに寄稿した政治評論家・中野正剛の筆を介して、時代の変遷、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)突入前の日本が置かれた環境が如実に浮かび上がる。
中野が評論を通じて、何を日本社会に訴えてきたかが明確。
中野正剛は韓国の独立、中国の統一、民族自決というアジア主義者としての考えを打ち出した。これは玄洋社の総帥・頭山満の考えと重なる。頭山、および玄洋社には思想が無いと斬り捨てた研究者がいるが、これは知識不足から生じた弁である。
また、著者「あとがき」には、アジア主義研究者の竹内好の論にも及ぶ。竹内によって中野正剛が「玄洋社直系の右翼」と短絡されていることに著者は反発を示す。
いまだ竹内の著作から引用し、アジア主義を論じる方がいる。この竹内を引き合いに出すことが、いかに浅い論であることに気づかなければならない。このことは、竹内好が監修した評論において、明らかな誤りが散見される著作が放り出されていることからもわかる。
アジア主義と大東亜共栄圏を同列と理解し論ずる評者が存在するのも、見直し改訂が行われてこなかったからだ。情けない限りだが、ここに日本の出版界の限界を見る思いだった。256ページに著者の痛烈な批判の言葉が並んでいるのを参照されたい。
東條英機首相に抗議して自決した人が中野正剛であるとの評価で締めくくるには、もったいない。停滞するアジア主義研究の再開は中野正剛から。つくづく、そう思う一書だった。
中野正剛の「静観」の書。
いつの時代のものかは不明。
外に発信するばかりの中野正剛ではなく、自身の内省も試みていたということなのか。
没後80年のテレビでは、政治家 中野正剛の東条英機との対決ばかりが強調されていた。
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