今からおよそ750年前に、博多の町は蒙古襲来により二度戦火にみまわれ、筥崎宮もご社殿を焼失しました。
この元軍の来襲の際に、第90代天皇の亀山上皇が「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮や箱崎宮などに敵国の降伏を祈願されたの際の「敵国降伏」のご宸筆が、箱崎宮の楼門に奉納されており、この亀山上皇の故事を記念し、福岡県の地元有志の17年有余の尽力により、明治37年(1904年)に、元寇に緑のあるこの福岡県庁前の東公園の地に亀山上皇の銅像が建立されました。
高さ約6メ一トルを誇るこの銅像の原型となった木彫像は、当時、高村光雲門下で活躍していた、博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎朝雲(やまさきちょううん)の代表作のひとつで、そのまま保存されていたものが、最近、筥崎宮の楼門向かって右側の奉安殿に安置されています。
奉安殿という名称は、私が小学生のころは、校門をはいるとすぐそばに教育勅語をいれた奉安殿があり、そこで最敬礼をしてから教室のある校舎のほうに進んでいったので、なつかしい響きです。
今日は地元の駅前区シニアメンバー14名で箱崎宮に参拝し、ゆっくり亀山上皇尊像を拝んできました。
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