古賀の場合は温泉があり、薬草などが多い場所だったのだろうが、歴史的な医療話は伝説の域をでないものだ。
白砂青松の古賀に、昭和18年に福岡結核療養所が開設され、結核と一般内科の治療がはじまり、周辺にも別の病院が出来て、古賀は病院町として知られるようになった。
夏樹静子の小説「暗い玄海灘に」に出てくる八須田病院はこれらをモデルにしたもので、敗戦後の古賀周辺の病院・薬局の事件と風景が描かれている。
現在の福岡東医療センターと福岡女学院介護大学は、その変遷後の姿で、福岡東部の医療施設の中心と言えるだろう。
東医療センターには、わたしの義弟の医師が長年勤めていたし、家内も心臓病で世話になり、孫娘も薬剤師の実習で世話になった。
最近では周辺に大きな病院が増えて、古賀の施設が目立たなくなったので、次の一手が必要なようだ。
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