古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
宮地嶽神社の参道は、まっすぐ海岸までのびている。
春と秋の節句のころの日没線が参道の直線と一致するのが有名である。
その夕日が落ちる場所は、相之島である。
この延長線は、中国の上海あたりをさしている。
宮地嶽神社の安曇族は、中国との交流もおこなっていたのだろうか?
従来の説では韓国との交流が主であった。
https://ereki-westjapannavi.blogspot.com/2014/10/blog-post_19.html
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