1976年(昭和51年):ロッキード事件
一国の首相が収賄で逮捕されたということで有名な話。
全日空にトライスターの売り込みのための賄賂を、田中首相がうけとっていたとされた。
トライスター
逮捕された者は 18人,起訴された者は 16人に及んだ。起訴された 16人のうち田中元首相を含め 5人が公判中に死亡して公訴棄却となり,1995年2月に最高裁で田中の元秘書官と丸紅元会長の上告が棄却されたのを最後に、残る 11人全員が有罪となった。
事件の背景には、ベトナム戦争がからんでいる。敗退するアメリカ軍。傭兵部隊(韓国軍を含む)を投入し、兵站基地の日本がありながら、アメリカは負け続ける。
日本の戦後の歴史は、東京を中心とした一極集中型の歴史観を日本全国に配信した。いつしか、マスコミも東京を中心とする情報を画一的に垂れ流すだけで満足している。
しかし、ここに落とし穴がある。
首都圏への物流はトラックが主流になっている。しかし、トラック・ドライバーは慢性的に不足する。そのことは、50年以上も前から言われていた。
高速道路網はGHQの高官が、アメリカの自動車メーカーのキックバック目当てに建設したともいわれる。目算は外れて、アメリカ車は売れなかった。
ならば、ボーイング、ダグラスの民間航空機を売り込もうか?
成田空港を建設したのも、見えざるGHQの亡霊の仕業なのか?
そんな中、軍産複合体は生き残りをかけて、軍用機メーカーから民間旅客機メーカーへの転身を図っていた。先発したのは、ボーイングだった。
しかし、ボーイング727は折々、事故を起こして墜落した。さらには、岩手県雫石町の上空では、空自の練習機と空中衝突。音速に近い速度のボーイングと朝鮮戦争時の戦闘機とでは、まるで速度が異なるが、結局、政治力で空自の責任となった。
後発のダグラス、グラマンも民間旅客機を日本に売り込むために奮闘。
ロッキード事件は世間の注目を浴びたが、ダグラス・グラマン事件は、扱いが極めて小さかった。
このダグラス・グラマン事件の渦中の方の葬式が、つい先日、あった。文科省が弔旗を上げろと指示した、しないで、揉めたが。
大久保利通の孫である大久保利春が、ロッキード事件では丸紅専務として国会での証人で登場した。「あの、大久保の・・・」と世間の目は冷ややかだった。
1979年:ダグラス・グラマン事件
F-4EJ
巨大汚職事件「ダグラス・グラマン事件」がおこる。
DC-3
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