2022年11月13日日曜日

徒然草

 「住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。」

長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。」

吉田兼好のいうとおり、長生きしすぎたわが人生である。

第7段|あだし野の露

[要約]
死があるから生が輝く

原文

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。

かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。
長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

現代語訳

露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。
だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然良い。命あるもので、人間ほど長生きなものはない。

かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏の蟬のように春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。
それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとものどかな話ではないか。
もしも命に執着するとたとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。
どうせ永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。長生きすると恥をかくことも多くなる。
長くとも四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。

その年齢を過ぎると容姿の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て社交的にふるまおうとする。
更に日没の太陽のような老齢の身で子孫を溺愛し、子孫の繁栄を見届けようと長生きを望んで世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのはなんとも救いがたい気がする。

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