先週のテレビで紹介された京都の大報恩寺。この本堂は応仁・文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっているという。郊外にあるのかと思ったが、北野天神(北野天満宮)の近隣にあり驚いた。
鎌倉時代初期の承久3年(1221年)、求法上人義空によって創建された。義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立した。当初は草堂であったが、摂津国尼崎の材木商の寄進を受けて現存する本堂が完成したそうだ。
観光案内には千本釈迦堂と記載されているほうが多い。
1221年は、承久の乱で、後鳥羽上皇が北条義時の軍に敗れ、六波羅探題が設置された時代であった。
創建者の名前に北条氏の名前がなく、奥州藤原氏の末裔の名前が出てくるには不思議である。
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