2022年11月27日日曜日

静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)

 静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)は、東京都世田谷区岡本にある専門図書館。日本および東洋の古典籍及び古美術品を収蔵する。東京都千代田区丸の内静嘉堂文庫美術館で収蔵美術品を一般公開している。

概要

事業主体は公益財団法人静嘉堂。同財団は三菱財閥が第2代総帥岩崎弥之助・第4代総帥岩崎小弥太父子が所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足した。「静嘉堂」は弥之助の堂号である。

世田谷区の静嘉堂文庫は内外の古典籍を研究者向けに公開する専門図書館である。千代田区の明治生命館で運営している静嘉堂文庫美術館(愛称「静嘉堂@丸の内」)は、収蔵美術品を一般公開する展示ギャラリーである。

沿革

源氏物語澪標図 俵屋宗達
源氏物語関屋図 俵屋宗達筆

静嘉堂文庫は、岩崎弥之助が1892年明治25年)、神田駿河台東京都千代田区)の自邸内に創設した文庫「静嘉堂」を起源としている。静嘉堂の名は『詩経』大雅、既酔編にある「籩豆へんとう静嘉」という句(祖先の霊前への供物が美しく整うという意味)から採られた弥之助の堂号(書斎号)に由来する。弥之助は兄で三菱創設者である岩崎弥太郎に従って実業界に入る以前、漢学を学んだ経験があった。恩師である重野安繹(成斎)の研究を援助する目的から古典籍の収集を始め、和漢の古書や古美術品の収集を熱心に行った。1907年にはの集書家、陸心源の「皕宋楼」旧蔵書4万数千冊を購入し、の版本多数を含む貴重なコレクションが文庫にもたらされた。

1908年の弥之助死後、その子岩崎小弥太は、父の遺志を受け継ぎ、文庫を拡充し、1911年には岩崎家高輪別邸(東京都港区、現・開東閣)に移転。さらに1924年には世田谷区岡本にある弥之助の墓の隣接地に桜井小太郎の設計で静嘉堂文庫を建て、広く研究者への公開を開始した。1940年に小弥太は財団法人静嘉堂を創立し、蔵書や文庫の施設など一切を財団に寄付して、岩崎家の家産から切り離した。

太平洋戦争後、財政難に陥るが、1953年に同じく三菱系の私立図書館である東洋文庫(創設者は岩崎弥太郎の子で、三菱第3代総帥の岩崎久弥)とともに、国立国会図書館の支部図書館となって、資料の公開を継続することができた。これは、文庫の資料と施設を所有する財団法人が国立国会図書館と契約を結んで図書館部門を国会図書館の支部図書館としてその傘下に組み入れ、図書と施設は財団の所有に残したまま、財団の図書館業務の人的部分を国会図書館に委託するというものである。

その後、静嘉堂文庫は三菱グループの援助を受けて1970年に国立国会図書館の傘下から離れ、再び三菱グループ経営の私立図書館となった。1977年からは付属の展示室を設けて文庫の収蔵する美術品の公開を開始し、1992年には創設100周年を記念して建設された新館に恒久的な美術館(以下「旧美術館」)を開館した。

世田谷区の旧美術館は2021年に閉館し、準備期間を経て2022年10月1日に東京都千代田区丸の内明治生命館に移転し「静嘉堂文庫美術館(愛称「静嘉堂@丸の内」)」として再開館した。移転するのは展示ギャラリーのみで、美術品の保管、静嘉堂文庫(書庫)の業務、および庭園の管理は引き続き従来の世田谷区岡本で行われる。この移転は美術館の開館30周年ならびに三菱創業150年(2020年)の記念事業の一環として行われるものである。

2022年11月、NHKの日曜美術館で、この歴史や展示品の公開内容が詳しく紹介された。

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