2023年7月26日水曜日

古賀市の公民館いろいろ

 古賀市に住んで50年以上になる。その間何か所か住居を移動した。


最初の住所は昭和45年の久保区五楽で、まだ新3号線や久保西区の団地が出来る前だった。

公民館は久保区の公民館は神社の集会所のような建物だったような記憶がある。現在は建て替わっているようだ。

その後久保の住宅公団の団地が完成して、住民から会費を徴収して、久保西区の公民館ができた。会費徴収には一部反対意見もあったようだ。

私の家の前には中央区公民館があるのに、区の線引きが前の道路で、遠い久保西公民館まで出かけることになった。わたしは出かけたことがなかった。

昭和56年に小竹区に転居した。公民館の近くだったので、よく出かけたが、地元の篤農家が土地建物を寄贈されたもので、古い建物だった。住民数が増えて手狭な感じであった。

戦国時代の前岳(古賀市と新宮町の境)は,小さな山で「小岳」と呼ばれる。
江戸時代初期の「正保郷帳」には「小岳村・三百六石高」と記録される。
「元禄国絵図」(1700年頃)には「小竹村」とあるが,前岳には竹が密生していたことから、「岳」を佳字の「竹」に変え、小竹村としたとある。

隣の区の青柳公民館も、古い建物だったが、前の道路の拡張工事の際に改築され、立派なの公民館になった。小学生の合宿行事などで有名だ。

令和5年に今の庄に転居した。庄北区と庄南区の公民館が一体になった2階建ての近代的建物なのに驚いた。

今日の健康サロンに出席してみたら、2階の広間は中央の仕切りドアを開くと、南北の広間が一体となって、小体育館のような広さになり、他の公民館では出来ないような行事ができるようになっている。老人と夏休みの小・中学生で4種類のゲームを楽しめた。

全景

カローリング

シャッフウルボード

スカットボール
 

公民館の建設には、市の統一的方針がないようで、老人会も地区によっては盛会だったり、無くなったりしている。


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