大森治豊と赤星研造
山形県上山市出身の医者で、東京大学医学部卒業後、福岡県立病院の設立のため福岡市に赴任した大森治豊は、県立病院を拡大させ、これを基盤として九州大学医学部(当初は京都大学の九州分校)に発展させ、初代学長をつとめたた功労者である。九大内には彼の銅像や大森通がある。
福岡出身で黒田藩の派遣留学生で、オランダに留学した赤星研造は医学を学び、プロシャ(普仏)戦争に従軍後、帰国して東大教授になっていたが、大森を教えたのだろうか、またなぜ福岡の県立病院に戻らなかったのだろうか?
彼は結局東大を追われて宮城医学校に移り、あとは仙台で開業したという。東北と九州の人材交換となった。
そういえば九州大学が総合帝国大学となるときの総長も会津出身の山川健次郎で、今の大河ドラマにも後半に登場するそうである。
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