2013年4月14日日曜日

「巌流島の決闘」4月13日


 世に「巌流島の決闘」として知られる武蔵と小次郎の試合は、慶長十七年(1612)4月13日,関門海峡に浮かぶ舟島(山口県下関市)にて行われました。
 この試合は武蔵が故意に遅刻、小次郎を焦らせ怒らせることによって精神的に優位に立つという作戦が成功、武蔵が勝利を得ました。
  武蔵は舟の櫂を削って作った即席の木刀で小次郎を一撃に打ち倒したとも、また試合後に小倉藩士が気絶していた小次郎を斬殺したともいわれます。
 試合に勝った武蔵は暫く消息不明となりますが、のちに肥後細川家に客分として身を寄せ、正保二年(1645)五月十九日に没して弓削(ゆげ)の里(熊本市龍田弓削)に葬られました。最近ここに武蔵の二刀流の姿の銅像もできています。武蔵の墓は熊本に4ケ所、小倉に1ケ所あるようです。

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