まず「志羅紀(しらき)の三崎を、国の余りがありはしないかと見れば、国の余りがある。」といわれて、大魚の鰓(えら)を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒り(より)の強い綱を掛け、霜枯れた黒葛(つづら)を繰るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来(くにこ)、国来」と引いて来て縫いつけた国は、八穂米支豆支の御埼(やほしねきづきのみさき)である。
そしてこの国を繋ぎ固めるために立てた杭は、石見国(いわみのくに)と出雲国との堺にある佐比売山(さひめやま)にある。
さらに、「北門の佐伎の国(さきのくに)、北門の良波の国(えなみのくに)国、高志(こし)の津津の三埼(つつのみさき)にも余りがある。」といわれて、同じように「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国が、狭田の国(さだのくに)と、闇見国(くらみのくに)と、三穂の埼(みほのさき)である。
さらに、「北門の佐伎の国(さきのくに)、北門の良波の国(えなみのくに)国、高志(こし)の津津の三埼(つつのみさき)にも余りがある。」といわれて、同じように「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国が、狭田の国(さだのくに)と、闇見国(くらみのくに)と、三穂の埼(みほのさき)である。
しかし最近隠岐の国は同じ出雲の領土域であるから、もっと北方の元山(北朝鮮)とウラジオストック(ロシア)ではないか?という説がだされていた。
最近、ウラジオストック周辺で発掘された黒曜石の50%以上が出雲のものであることがわかり、古代から出雲と交易が行われていたことが、考古学的に証明された。
最近、ウラジオストック周辺で発掘された黒曜石の50%以上が出雲のものであることがわかり、古代から出雲と交易が行われていたことが、考古学的に証明された。
0 件のコメント:
コメントを投稿