2016年7月24日日曜日

出雲国引き神話の新説


出雲風土記によると、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬ)は、「八雲立つ出雲の国は、幅の狭い布のような幼い国である。初めの国を小さく作ったので、余りのある国を引いてきて縫いつけることにしよう。」といわれた。
まず「志羅紀(しらき)の三崎を、国の余りがありはしないかと見れば、国の余りがある。」といわれて、大魚の鰓(えら)を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒り(より)の強い綱を掛け、霜枯れた黒葛(つづら)を繰るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来(くにこ)、国来」と引いて来て縫いつけた国は、八穂米支豆支の御埼(やほしねきづきのみさき)である。
そしてこの国を繋ぎ固めるために立てた杭は、石見国(いわみのくに)と出雲国との堺にある佐比売山(さひめやま)にある。

さらに、「北門の佐伎の国(さきのくに)、
北門の良波の国(えなみのくに)国、高志(こし)の津津の三埼(つつのみさき)にも余りがある。」といわれて、同じように「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国が、狭田の国(さだのくに)と、闇見国(くらみのくに)と、三穂の埼(みほのさき)である。
また持って引いた綱は夜見島(よみしま)に、繋ぎ固めるために立てた抗は、伯耆国(ほうきのくに)の火神岳(ひのかみのたけ)にある。

国引きとは、現実には交易が行われていた国のことと考えられる。

この交易が行われたところは、今まで「志羅紀の三崎は(新羅)」、「北門の佐岐は(隠岐道前)」、「北門の良波は(隠岐道後)」、「高志は(越の国)」と考えられていた。

しかし最近隠岐の国は同じ出雲の領土域であるから、もっと北方の元山(北朝鮮)とウラジオストック(ロシア)ではないか?という説がだされていた。
最近、ウラジオストック周辺で発掘された黒曜石の50%以上が出雲のものであることがわかり、古代から出雲と交易が行われていたことが、考古学的に証明された。
出雲大社の場合、本殿の裏側は、北朝鮮北東部から中国との国境あたりを指している。
関東にも出雲大社の支店が東京埼玉神奈川にあり、やはり同じ場所を指している。

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