2016年7月30日土曜日

国生み神話と銅矛・銅戈


古事記』によれば、大八島は次のように生まれた。

伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。

別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。
伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。
このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。

この神話を、「銅矛や銅戈」という青銅利器が日本に渡来してきた時代の神話と解釈すれば、その舞台は筑紫の国で、その時代は弥生時代である。

考古学的には、青銅利器がもっとも多く出土しているには北部九州である。

西谷教授の図書にも、この時代のことを、吉武高木遺跡の出土品を例にあげて、青銅利器の渡来により、農業社会が大きく発展し、国が形成されたと説明されている。
この時代には我が郷土古賀の久保遺跡でも、銅戈の鋳型が発掘されており、弥生後期前半にはすでに国産化されていたことがわかる。
このような青銅利器の効果をつたえる神話が筑紫に伝えられていたから、古事記の史官たちも記録に残したのであろう。


この神話は「修理固成(つくりかためなせ)」とよばれ、かつては、尋常小学校、国民学校で先生からしっかりと教えられた日本人の常用語であった。
「修理固成」は、単に伊耶那岐、伊耶那美の神話ということではなくて、日本人の物づくり精神の根源語でもあった。

良い話、良い言葉は、常識として取り戻していきたい。

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