2016年7月19日火曜日

ツタンカーメンの墓の謎


ツタンカーメンは、唯一神アテンを信仰していたアクェンアテン王(ファラオ)を父にもち、母親(側室)のキロはそのアクェンアテンの実の姉か妹である事がDNA判定の結果から判明している。
母親は出産後急死したようだ。
アクェンアテン王
正室のネフェルティティには男の子がいなかったので、父の死後は義母が一旦王となり、義母の死後にツタンカーメンが王座についた。
義母ネフェルティティ
しかし、この近親婚によって生まれたツタンカーメンはかなりの確率で遺伝的欠陥を持って産まれたと言われており、現存するミイラからも証明されている。彼も若くして死亡し、義母の父アイが王座をついだ。

しかしこの4代の王は、エジプトの王家の系図からは抹殺されており、消された一族だったことが、盗掘をまぬがれた理由でもあった。

王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は、1922年11月4日イギリスカーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発見、発掘された。

きわめて珍しいことに3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けてなくて、王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土した。

そのあと、発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたので、『ファラオの呪い』という伝説が高まった。

最近このツタンカーメンの墓の部屋の壁画の一部に、超音波で調べると空洞があることが判明し、その奥には義母のネフェルティティの墓があるらしいと推測されている。

これが調査されれば、さらにこの一族の謎が解き明かされることになろう。(最近のテレビ番組より)

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