内田 康哉(うちだ こうさい / やすや、1865年9月29日〈慶応元年8月10日〉- 1936年〈昭和11年〉3月12日)は、日本の外交官、政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。
明治・大正・昭和の3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物で、戦前の日本を代表する九州出身の外政家だが、あまり知られていない。
私の先輩で八代出身の山口氏の縁戚になり、詳しく調査されているので、その概要をまとめた。
1)独身時代:
熊本藩医・内田玄真と熊本士族黒田五左衛門長女ミカの子として肥後国八代郡竜北(現・熊本県八代郡氷川町)に生まれる。
八代郡鏡町にあった名和童山の新川義塾などで学んだ後、同志社英学校に入学するも2年後に退学。東大に進学。
明治21年、ワシントン公使館勤務。陸奥宗光公使の助手となる。
明治23年、帰国。陸奥宗光が農商大臣となり、その秘書官となる。また陸奥が外務大臣となると庶務課長になる。
明治26年、英国勤務。
明治28年、清国勤務。
明治30年、帰国し、通商局長に任命される。
明治32年、米国留学(明治23~30年)から帰国した土倉政子と結婚。
注)その後の要職歴:
内閣 | 第2次西園寺内閣 |
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在任期間 | 1911年8月30日 - 1912年12月21日 |
内閣 | 原内閣 高橋内閣 加藤友三郎内閣 |
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在任期間 | 1918年9月29日 - 1923年9月2日 |
内閣 | 原内閣 |
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在任期間 | 1921年11月4日 - 1921年11月13日 |
内閣 | 加藤友三郎内閣 |
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在任期間 | 1923年8月24日 - 1923年9月2日 |
第44代 外務大臣 | |
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内閣 | 齋藤内閣 |
在任期間 | 1932年7月6日 - 1933年9月14日 |
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