2022年3月5日土曜日

感応機雷

 


昨日の読売新聞に「米軍が日本近海を機雷封鎖」の記事がでた。
米軍は第二次世界大戦での日本本土の攻撃に機雷を戦略的に使用し、1945年3月27日から8月14日までの「飢餓作戦」では、のべ1,200機のB-29によって計1万発の沈底機雷を日本近海の海上交通路に投下した。
特に4千発は関門海峡周辺に投下された。新聞では触発機雷のように記載されていたが、実際は感応機雷(艦艇の磁気により乱れた地磁気に感応する磁気機雷)であった。引き揚げた機雷を九大工学部や三菱電機長崎で調査したら、数回船舶が通過したあと、大型船が通過するときに破裂する仕組みになっていた。私は調査に直接には参加しなかったが、機雷の本体を研究室の横でこわごわと眺めていた。
大先輩、三菱電機長崎の進藤貞和氏(のち社長)は、長崎原爆投下の当日、通常の職場をはなれてこの制御部品を別工場で調査していたので、爆風をのがれたと、自叙伝に記載している。
米軍の狙い通りに港湾や海峡で船舶の被害が増大し、日本の海上物流は麻痺状態となった。
日本側は飢餓作戦による機雷の掃海に、戦後20年以上を費やす事態となった(関門海峡などにはまだ残されている)。

0 件のコメント:

コメントを投稿