2022年5月29日日曜日

昭和初期の思い出:紙芝居などと、古賀町

 大正15年生まれの私の幼年期の思い出。

私が生まれそだったのは箱崎町で、その歴史は次のブログに書いている。

西方浄土筑紫嶋: 九大と箱崎の歴史(改訂版) (ereki-westjapannavi.blogspot.com)

当時の日常生活は、つぎのとおり。

電灯は定時制で、夕方6時ごろ自動的にパットと点灯した。

その他の電機品はまったくゼロ。水道もガスもない。

家をでれば、すぐ砂浜と海があり、遊び場には不自由なし。

わが家の横の通路に紙芝居がくるので、家の窓から見えるが、得意であった。



当時は知らなかったが、日本はアジアではタイ国とならんで、ただ2国だけが、独立国だった。その他のくには、欧米の植民地支配の状態だった。


しかし国の財政は苦しく、国民生活も次第に戦時体制にむかっていた。
町やむらも財政難で、古い建築物の再利用が当たり前であった。

日米戦争になり、敗戦してどん底生活のなかで、社会人となり、八幡の電気メーカーに就職して、20数年を黒崎地区で、社宅生活をした。
昭和45年に、やっと持ち家の建設を、古賀町で実現した。

古賀町の役場の建築も、福岡市の古い消防署の解体材を再利用して建てられたという。

私が古賀町に入居したのは、昭和45年で、今の市役所(当時はまだ町役場)になったのは、昭和46年である。



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