昭和28年古賀の大水害
昭和28年6月4日から降りはじめた雨は29日まで続き、古賀で最大の水害となった。
死者10名、行方不明者5名、住宅24戸が全壊、床上浸水1403戸、橋梁も24流された。
写真は高千穂製紙の社宅の様子と、花鶴川河口の地図。
復興のため、古賀町、小野村、青柳村が合併し、大きな古賀町(現在の古賀市)となった。
昭和28年には、私は八幡にいたが、やはり大水害が発生し、上司に家が被害をうけたので、復旧作業に出かけた記憶がある。福岡県各地で水害がおきたので、その記録のなかには、古賀の水害がとりあげられていないそうだ。
今の庄は大根川と谷山川の合流地点で、落合という字名もあり、落合橋は今はコンクリート構造だが、昔は木製であった。
地名に、蛇、鶴、津留、沼、谷、蓮、袋、沢、滝、落合、野毛、窪、奥、久保、下、溝、井、曲、浜、江などに関わる地名は、元々河川流域で水害が複数あった、低湿地帯であった可能性がある。
落合橋 |
市役所が出来る前の地図 |
落合放水路 |
落合放水路は、昭和28年の大水害の後に作られた。この放水路で、中洲のような島になった地区は、平成時代に史跡調査がされたが、目立った発掘物がなかったので、宅地化され、今は住宅やマンションが建っている。
対岸のコスモスというスーパーによく買い物にでかけるが、このあたりの堤防の下の地区の住宅は、河の水面より低い地形になっているように見える。
庄橋付近の河川監視カメラが、市役所屋上にとりつけられている。1時間ごとに映像がみられるので、雨季には参考になる。
福岡県総合防災情報 (fukuoka.lg.jp)
今のハザードマップでも広い範囲が危険領域となっている。
電気系統が水没すると、マンションなどは、しばらく住めなくなりそうだ。
1週間の食糧備蓄が必要だ。さもなくば餓死するだけだろう。
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