鶫岳城(つぐみたけじょう)と読みます。立花城督の城砦のひとつで、宗像領と接する境目の城です。不動山ともよばれています。
福津市との境界線上にあるため、古賀市の郷土史ではあまり話題になっていない城ですが、立花城領でもっとも高い山(340m)の出城でした。
鶫岳城石碑 |
「豊前覚書」には在番者として、天正9年の鞍手郡吉川庄合戦(鷹取城の救援として向かっていた戸次氏と宗像氏、秋月氏の戦い)が起こった年に、院内衆(糟屋郡のうち、立花山の北側の諸郷村。薦野、米多比など)、大津留宗秀があたりました。
鶫岳城は鶫岳(標高340m)の上に築かれ、宗像領側の北側と西岳ルートは極めて山の斜面が急で、南西側の尾根が続くところには堀切で断ち切り、そこから切岸で急斜面を構築しています。
宗像領側の北側にのみ畝状竪堀が構築され、宗像氏に対して睨みをきかせていたことが想定されます。
北側以外の面には切岸が綺麗につくられています。
米多比城の山城部と同様に基本単郭式で構成され、主郭は三段に分けられており、北東隅と南西隅には虎口が設けられ、北東隅の虎口には馬出のような腰曲輪がつくられ、南西側の虎口には主郭南にある腰曲輪に繋がります。
また米多比城ほどではないですが、曲輪の周りには低いながらも土塁がめぐらされています。
南側の腰曲輪は主郭との付け根あたりに両サイドを竪堀として落ちており、それをつなぐように若干のくぼみがあることから堀切だった可能性があります。
また福岡県中近世城館遺跡調査報告書などに掲載されている図面には載っていないですが、鶫岳の舎利蔵ルートには腰曲輪みたいな小規模な曲輪が点在しています。
米多比城に比べたら畝状竪堀の数はかなり少ないですが、立地や切岸の構築、土塁、曲輪内の削平具合からして極めて防御性の高い重要な城であったことが分かります。
アクセス
鶫岳は青瀧寺から登る西岳ルートと舎利蔵ルートがあります。
南側の腰曲輪は主郭との付け根あたりに両サイドを竪堀として落ちており、それをつなぐように若干のくぼみがあることから堀切だった可能性があります。
また福岡県中近世城館遺跡調査報告書などに掲載されている図面には載っていないですが、鶫岳の舎利蔵ルートには腰曲輪みたいな小規模な曲輪が点在しています。
米多比城に比べたら畝状竪堀の数はかなり少ないですが、立地や切岸の構築、土塁、曲輪内の削平具合からして極めて防御性の高い重要な城であったことが分かります。
アクセス
鶫岳は青瀧寺から登る西岳ルートと舎利蔵ルートがあります。
西岳ルートは寺から奥に入る道は笹やシダが多い茂っており(踏み跡は明瞭かつピンクリボンもあるので間違えることはありません)、かつ不動明王過ぎからは山の急斜面かつ道が踏み跡程度で小石が多いことからしっかりした登山装備で登ることをおすすめします。
舎利蔵ルートは坂が緩くて、広いので登りやすく、ピンクリボンもあるのでオススメですが、山に入る道がかなり分かりづらいのです。
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